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「籠釣瓶花街酔醒」に魂持ってかれた

猿若祭二月大歌舞伎、昼の部を観劇してきました。
どの演目も良かったけれども「籠釣瓶花街酔醒」がほんとに良かった。凄いもん観せられました。


商売で訪れた江戸の土産話にするつもりで吉原見物にきた下野国の絹商人が、花魁道中に遭遇してトップ花魁にぞっこんになってしまい、通い詰めて金ばんばん落としてお店からも上客扱いで、いよいよ彼女を身請けしようってことになって地元の友人やらも呼んだその席で花魁に振られてしまい、その場はいったん引き揚げたものの、後日「籠釣瓶」の銘のある刀で花魁を斬殺してしまう、という、ものすごく雑にいうとそういうお話。

実話をもとに創作されたお話だそうだけど、いまでもときどき聞きますよね、一方的に想いを寄せていた相手や別れた連れ合いを逆恨みして刺したとか首絞めたとか火付けたとかいう事件。


舞台が吉原遊廓ということもあって、とにかく絢爛豪華。花魁道中は児太郎さんの九重、芝のぶさんの七越の艶やかさも素晴らしいのだけど、七之助さんの八ツ橋の姿といったら…なんと言えばいいのか、七之助さんってただ「美しい」とか「綺麗」とかいう言葉では表し切れない、その一歩先の何かをお持ちのような気がします。次郎左衛門でなくても「宿へ帰るがいやになった」ってなるわ。

勘九郎さん扮する主人公の次郎左衛門は、昔疱瘡に罹ったせいで酷いあばた面なのだけれど、遊郭では田舎の人らしからぬスマートな遊びをする人で金払いもよく、真面目でやさしくて良い人。なので八ツ橋を身請けしたいという申し出にも異を唱える人はいません。

ただ、当の八ツ橋にはじつは栄之丞という情人がおり、こいつが浪人で仕事してなくて、まあ言うてみたら「彼女をキャバで働かせて貢がせてるヒモ」です。これが仁左衛門さまなんですよ…そんなクズのプーのヒモが仁左さま。柱に寄りかかって立ってるだけで色気ダダ漏れの仁左さま。湯屋帰りから出掛けることになって着替える場面があるのですが、背中を向けたまま長着を羽織って前を合わせて帯を締めて…という一連の所作がもうほんっっっっとーにうっとりするほど美しい。

さらに八ツ橋の縁者に権八というのがいて、これも八ツ橋にときどき金をせびっているヤカラで、八ツ橋が身請けされると金蔓がなくなってしまうという危機感から、栄之丞を焚き付ける訳です。こいつがいちばん悪者かも。このクッソ腹立つけちな小悪党、松緑さん初役だそうですが実にはまってました。

身請け話を断らないと縁を切ると栄之丞から迫られるものの、さんざん世話になったお客に不義理をするのも申し訳なく、だからといって栄之丞への想いも断ち切れず、次郎左衛門と栄之丞、義理と情との間で板挟みになってしまう八ツ橋、けっきょく次郎左衛門に「身請けは嫌でありんす。もう遊びに来てくださんすな」と言い放ってしまう。いくら豪華に着飾って売れっ子花魁と持て囃されても、何ひとつ自分の思いどおりにはならない切なさや辛さがひしひしと伝わってきて、しかもこれ、障子の向こうで栄之丞が立ち聞きしてるの。プレッシャーえげつないでしょうよ。
「つくづく嫌になりんした」と立ち去る八ツ橋が痛々しいほど哀しい。
次郎左衛門も栄之丞の姿に気づいて、それですべてを察してしまうのね、「ああ両想いだと思っていたのは自分の独りよがりで、本命の彼氏がおったんか」と。


wikiには「八ツ橋に振られた次郎左衛門が故郷の兄の元に帰り 〜(中略)〜 江戸にもどり、八幕目の「殺し」となるが、あまりにも間が空きすぎている。三木竹二に「立腹も日を経れば薄らぐはずだ」と批判されたほどである」とあるけれども、それはどうなのかな。振られてから事件まで4か月あるのだけど、それだけの日数が必要だったんじゃないでしょうか。
恋した人にこっぴどく、しかも大勢の前で振られ、友人たちには馬鹿にされ、病気のせいとはいえ自分はひどいご面相で本命の彼氏はとびきりの男前で…そうまで打ちひしがれた状態から簡単に立ち直れます?


そしてあたしは、これは単なる失恋男の復讐劇ではなく、深い因縁話であるとも考えます。
上演はされないけれども原作にある前日譚とは。次郎左衛門の父親は遊女を妻に娶るものの妻が梅毒を患ったので捨てて惨殺し、その祟りで自分も亡くなり息子の次郎左衛門は疱瘡に罹ってしまう。その後次郎左衛門を盗賊から救った浪人が次郎左衛門宅に滞在するうち病死してしまい「籠釣瓶」が形見として贈られた、というもの。

梅毒が元で殺された母親の祟り、というか因縁で疱瘡というのがなんとも…同じ病気にしたいところなのかもしれませんが、子どもを性感染症にする訳にもいかず、同じように発疹の出る疱瘡なのかな、と。梅毒より潜伏期間短いしな。そうやって女性が振り向かないような醜悪なあばた面にすることによって、息子を恋愛や女性問題から(いい意味でも悪い意味でも)遠ざけたいという、母親としての、そして男に翻弄された女性としての執念を感じてしまうのはあたしだけでしょうか。
もと遊女なのだから多くの男と交渉があることは父親もわかっていて妻にしたのではあろうけれど、梅毒を発症したとあっては愛する女に病気を伝染した、ある意味キズものにした「他の男」の存在がリアルにその身に感じられてしまい、病妻に対する厭わしさに加えて誰とも知れぬ男に対するモヤモヤした気持ちもあったろうと思うと、それが栄之丞の次郎左衛門に対する嫉妬とダブって見えもします。

そしてこれは親の因果と関わりがあるのかないのか、わからないけど偶然手に入ることになった刀。銘は「籠釣瓶」、作は村正。刀剣関係にとんと疎いあたしでも、妖刀村正といえば「なんかすごいやつ」くらいは時代劇とかで見聞きしています。
しかし刀を手に入れたところで次郎左衛門は武士ではないから、おそらく桐箱に収めたまま床の間に飾ってあったか蔵に仕舞ってあったかしたんでしょう。そんな扱いを受けてもそこは腐っても妖刀村正、いつか己の出番がくることを、その刀身に血飛沫を浴びる日を待っていたはず。

次郎左衛門は先にも述べたとおりとても良い人。真面目で純朴で誠実で、それまで人を恨んだり妬んだり嫌ったりなどということはまったくなかっただろうと思うのです。
その真っ白い絹のような次郎左衛門の心に、八ツ橋の愛想尽かしの言葉が一点の黒い染みをつけてしまった。暗い穴を開けてしまったと言ってもいいかも知れない。「籠釣瓶」はそこに飛び込んだに違いありません。真っ白な心では取り付く島もなかったけれども、暗い気持ち、心の闇…血に飢えた妖刀はそういったものを糧にして新たな力を得、己の血への渇望を満たすために主を殺戮に向かわせるのではないかしら。
暇乞いをして茶屋から立ち去ろうとする次郎左衛門が、虚ろな目で左脇に手をやって何かを探るようにし、茶屋の女房がお忘れですよと差し出す煙管と煙草入れを帯につけるのが、まるで侍が刀を腰に挿すような手つきで、ああこれは妖刀の魂が呼んでるんじゃないのか、と。

振られたその場でカッとなってことを起こすにはあまりにも良い人過ぎるので、「籠釣瓶」を呼び生けてしまっても一直線には凶行に走れなかったと思います。葛藤もあったと思うのです。それでも一度目を醒ました妖刀はじわじわと容赦なく次郎左衛門の心を侵食していったんでしょう。それで復讐心が育つことで折れた心が立ち直るというのはとても皮肉な話ではあるけれど。
それに愛想尽かしされた客が速攻で目血走らせてやってきたら、茶屋の人たちも「ヤバい、何されるかわからん」って警戒するでしょうけど、4か月も経てばほとぼりも冷めてて「あらまあでは改めてまたご贔屓に」って受け入れてくれるでしょう?

刀の収められた桐箱を携えて茶屋にやってきた次郎左衛門は、穏やかで紳士的なのは以前とちっとも変わらないのに、雰囲気はまったく違っていました。微笑をたたえてはいるものの何だか凍りついたような表情で。
八ツ橋を斬り捨てて「籠釣瓶は、よく斬れるな…」と刀身を見つめるその目は狂気を孕んでいるようでもあり、何かに魅入られた人のそれのようでもあり。これは次郎左衛門その人なのか、いや次郎左衛門の魂は既に妖刀に喰い尽くされていてここに立っているのは妖刀そのものではないのか。そんなふうにさまざまなことを感じさせてくれる勘九郎さんの表現に圧倒されてしまいました。

次郎左衛門は妖刀「籠釣瓶」に魂持ってかれたのかもしれないけど、あたしは「籠釣瓶花街酔醒」に完全に持っていかれてしまい、終演後しばらく席から立てずにいたのでした。

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ともこ
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