「衆議院解散」の法的根拠と『日本国憲法』講和条約説
第200回国会(臨時国会)の閉会に伴い、巷では「衆議院解散はいつなのだろうか?」という予測が盛んになっています。
(ちなみに、「第◯回国会」というのは『日本国憲法』施行後の国会から数えています。戦前の帝国議会は含まれていません。)
さて、アカデミックな世界で発生するのが「今回の衆議院解散は、果たして合憲なのだろうか?」という問いです。
実は、過去に4回も「憲法違反じゃないか!」と突っ込まれる衆議院解散が存在しており、その内、二回は安倍首相がやらかしています。
今度の衆議院解散はどうなるのでしょうか?『日本国憲法』の解釈やそもそも『日本国憲法』の効力を巡る議論を紹介しつつ、私の意見を述べさせていただきます。
『日本国憲法』では「衆議院解散」の「決定」を誰がするのか不明
そもそも、衆議院解散とは誰がするのか、御存知でない方も多いのではないでしょうか?
よく「衆議院解散は首相の専権事項」という方がいますが、それには根拠がありません。
憲法上――『大日本帝国憲法』でも『日本国憲法』でも――衆議院解散は天皇陛下の大権事項(『日本国憲法』では国事行為)となっています。
『日本国憲法』 第七条
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
七 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
八 栄典を授与すること。
九 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
十 外国の大使及び公使を接受すること。
十一 儀式を行ふこと。
これを見る限り、天皇陛下が内閣の助言と承認によって衆議院解散を解散する、ということになります。しかし、内閣がするのはあくまで「助言」であって「決定」ではないのです。
これを見ると、例えば「憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること」も天皇陛下の国事行為に挙げられていますが、言うまでもなく「法律」や「条約」の公布の決定権は内閣にはないので、ここでいう「助言と承認」に「決定」は含まれていないと解釈するのが妥当です。
「え?内閣じゃなかったら、誰が決定するの?」
そう思われる皆様は、一度、『日本国憲法』を隅から隅まで読まれることをお薦めします。
すると、どこにも「衆議院解散を誰が決定するのか」など記されていないということに気付かれるはずです。
最高裁判所は「統治行為論」判決で逃げる
ですから「衆議院解散は首相の専権事項」等というのは、別に憲法上の根拠がある主張ではなく、政府(内閣)が勝手にそう言っているのに過ぎないのです。
無論、政府が憲法上の根拠もなく「解散権」を振りかざすのは問題です。というわけで、このことは過去には裁判沙汰にもなっています。
憲法解釈を最終的に決定するのは最高裁判所ですが、その最高裁はどう解釈したかというと・・・
現実に行われた衆議院の解散が、その依拠する憲法の条章について適用を誤つたが故に、法律上無効であるかどうか、これを行うにつき憲法上必要とせられる内閣の助言と承認に瑕疵があつたが故に無効であるかどうかのごときことは裁判所の審査権に服しないものと解すべきである。(最高裁判所大法廷判決より)
法律の条文に読み慣れていない方には難解でしょうが、要するに
「衆議院解散が憲法上必要な手続きを正しく踏んでいるか、どうかなんか、裁判所は審査しないよ!」
と言っているわけです。
こういう主張を「統治行為論」と言います。よく「統治行為論」というと自衛隊とか安全保障だけに適用される判例だと勘違いしている方もいますが、実はフルスペックの統治行為論が適用されたのは衆議院解散の判例だけです。
(※砂川事件での最高裁判決はあくまで日米安保条約が「一見して極めて明白に違憲無効である」とまでは言えない、と言うものです。「一見」程度の審査はするわけで、最初から「審査しない」という判決ではありません。)
政府の行為には「公定力」というのがあります。裁判所が判断をするまでの間、政府の行った行為は有効であると公には見做されるのです。
ということは、最高裁が「審査しない」と宣言した以上、政府がどんなに衆議院解散を濫用しても誰も止められないということです。
ただ、これはあくまで「誰も止められない」ということであって、誰も止めないからと言ってそれが「合憲」である、ということにはなりません。
多くの憲法学者が「憲法違反」と指摘する4回の衆議院解散
さて、憲法学者たちも「誰が解散の決定権を持っているのか、判らない」と言ってはいられないので、色々と憲法の条文を読みまくり(超強引に)拡大解釈をして「○○というケースでは衆議院解散が認められる!」という理屈を組み立てました。
だいたい多くの憲法学者が同意しているケースを紹介します。
1.衆議院で内閣不信任決議が成立したとき
衆議院で内閣不信任決議が可決されると、内閣は「衆議院が解散されない限り」総辞職しなければならない、と憲法に書いてあります(第69条)。つまり、「衆議院が解散される場合」もあるということです。
もっとも衆議院が解散されると内閣も自動的に総辞職となりますが(第70条)、いずれにせよ内閣不信任決議が成立したときに衆議院が解散される場合もある、と憲法に明記されている以上、そういう場合においては解散は問題ない、という風に考えられています。
あ、これを聞いて「わかりにくい」という皆さん。最初に言ったように超強引な解釈であることをお忘れなく。
2.衆議院が内閣の提出した重要な法律案や予算案を否決したとき
これはどういうことかというと、衆議院と内閣とで意見に大きな違いが出ている、というケースですね。
つまり、本質的には内閣不信任決議が成立したときと変わらないので、この場合に衆議院を解散するのも問題ないでしょう、ということになります。
3.政策の変更等の重要な国政の課題について国民の信を問う必要があるとき
「政治は一寸先は闇である」と言いますが、衆議院議員はあくまで国民の代表であるものの、選挙から何年もたつと政治の世界では何があるのか、判りません。
国民は候補者の政策を見て投票するわけですが、数年前には国民も「Aという政策を実現してほしい!」と思っていたとしても、今では「いや、Bの政策の方が優先だ!」と思っているかも、知れません。
そういう時に国民の意見を政治に反映できるように、政府が重要な政策を変更したり、新しい政治上の課題が生まれたりしたときには、衆議院を解散できるとされています。
4.参議院議員選挙と同じ日に選挙を行いたい場合
参議院議員選挙も国民の意見を問う日です。同じ日に衆議院議員選挙をやってもいいんじゃないか、という見解も有力です。
5.衆議院議員の任期がもうすぐなくなるとき
衆議院がどうせ任期満了になるのであれば、少々選挙の日程を早めるのも内閣の「助言と承認」の範囲内で許されるんじゃないか、という見解です。
以上の5ケースのいずれかの場合に衆議院は解散できる、となっているのが、それに当てはまらない衆議院解散が過去に4回ありました。いずれも平成の御代におきたことです。
平成17年の衆議院解散(郵政解散) 小泉内閣
これは郵政民営化を参議院が否決したことを理由に衆議院を解散したものです。
「それって、衆議院は関係ないだろ!」ってことで違憲論が有力です。
平成24年の衆議院解散(自爆テロ解散) 野田内閣
これは当時与党であった民主党が「消費税増税反対」を公約に政権を得たにもかかわらず、菅直人政権・野田佳彦政権になって公約無視の消費税増税を強行、野党の自民党や公明党と「消費税増税を実現したら、近いうちに衆議院を解散する」という内容の「三党合意」を結んだことによる解散です。
仮に消費税増税について「国民の信を問う」必要があるならば、消費税増税法案の成立前に解散する必要があります。後から信を問うても遅いのです。また、衆議院解散を政治的な取引の材料に使ったのは、明らかに職権濫用であるといえます。
平成26年の衆議院解散(アベノミクス解散) 安倍内閣
これは安倍首相が「消費税増税延期」を理由に行った解散ですが、消費税増税延期については全ての政党が賛成していたため、解散をして国民の信を問う必要性が皆無でした。
平成29年の衆議院解散(国難突破解散) 安倍内閣
これは安倍首相が「少子高齢化や北朝鮮の脅威についての国難がある!この国難を突破するためには、国民の信を問う必要がある!」ということで行った解散です。
少子高齢化は以前から問題になっていましたし、「平壌政府」(自称「朝鮮民主主義人民共和国」)が「ならず者国家」だったのも今に始まったことではなく、安倍首相の主張は要するに「今解散しないといけない理由はありません」と言っているようなものでした。
衆議院解散の根拠は『大日本帝国憲法』に求めざるを得ない
さて、『日本国憲法』をどう解釈しても「衆議院解散の決定権」が誰にあるのか、不明瞭なわけですが、ここで『日本国憲法』の効力に関する議論をしてみましょう。
そもそも『日本国憲法』が憲法典として有効である、というのは一つの意見にすぎません。先日は国民民主党の小沢一郎先生や日本文化振興会の中松義郎副総裁が『日本国憲法』無効論を主張していることを紹介しました。
ここで『日本国憲法』の効力に関する詳細な議論は控えますが、私も中学生の頃から憲法無効論を主張しています。「『日本国憲法』は憲法典としては無効だが、講和条約としては有効」という南出喜久治先生の立場に基本的に賛同です。
『日本国憲法』が講和条約であった場合、講和条約の規定は部分的に憲法の条項よりも優先されうるので、例えば徴兵制については『日本国憲法』第18条の規定により否定されます。(ですから「憲法無効論を採用すると徴兵制が復活する!」というのは、左翼によるデマです。)
さて、衆議院解散について話を戻すと、『日本国憲法』に規定のないことについては『大日本帝国憲法』によって解釈をするのが妥当であると言えます。
『大日本帝国憲法』には衆議院の解散について次のように記されています。
『大日本帝国憲法』 第7条
天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス
ここでは衆議院の解散が天皇陛下の大権であると記されています。そして、天皇陛下の国務に関する大権については次のようにも記されています。
『大日本帝国憲法』 第55条
国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
2 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス
言うまでもなく衆議院の解散は「国務」であり、その「詔勅」に「国務大臣の副署」があれば有効になる、という規定です。
なお、『日本国憲法』においても同様の「連署」の規定がありますが、こちらについては連署の有無は直接には効力に影響しない、とされています。一方、帝国憲法における「副署」は法令の効力において必須であるとされています。
そして、現在でも「解散の詔書」には全ての国務大臣による副署があるのですが、これらは『日本国憲法』には根拠のない規定ですから、『大日本帝国憲法』に根拠を求めることができます。
従って、衆議院は『大日本帝国憲法』の規定によって解散されている、のが妥当な憲法解釈であると言えます。
安倍首相は東京オリンピックの前に衆議院を解散するだろう
最後になりましたが、政局について予測を立てておきます。
過去の記事でも書いたことですが、安倍首相は東京オリンピックの前に衆議院を解散するはずです。その論拠については過去記事から引用します。
安倍首相としては「東京オリンピックの前に衆議院を解散したい」という事情があります。というのも、「オリンピック開催後には不景気になる」と言う法則があるからです。
オリンピックというのは「行きはよいよい、帰りは恐い」というもので、オリンピックの開催前と開催中はお祭り気分で浮かれていますが、一度オリンピックが去ると夢から醒めたように「現実」が襲ってきます。近年のオリンピック開催国で「オリンピック開催後」も「好景気」だった国は、ありません。
この時は、安倍首相は参院選の際にダブル選挙をすると予想していました。前述のように、多くの憲法学者がダブル選挙のための解散であるならば憲法に違反しない、と考えているからです。
しかし、参院選の時には解散をしませんでした。もしかしたら、安倍首相は平成26年や平成29年の時と同じように、三度「大義無き解散」に踏み切るのかもしれません。
一応、公平を期して言っておくと、野田内閣の「自爆テロ解散」が憲法違反なことでも判るように憲法軽視の傾向は菅政権から始まっているのであって、安倍政権が最初ではないのですが、「悪夢のような民主党政権」と同じことをしているというのは、自慢にはならないでしょう。
そもそも『日本国憲法』自体が本来憲法典と言える代物ではないのに憲法扱いしていることにも問題があるのですが、中々我が国に立憲主義が根付かないのは残念であります。