
35歳からのウソ日記121『パシリのジーンズ』
2020年9月26日
秋の到来というよりは夏がどこかへ行ってしまった寂しさを感じ、私はクローゼットの中を衣替えした。
そこで久々に高校時代にずっと履いていたジーンズを見つけた。
ずっとの意味は本当にずっと履いていたのである。
寝ている時もだ。
父親がジーンズがすごい好きで、中学生の頃私にデニムと共に成長していく楽しさを酔っ払った時にだけよく話してくれた。
どんどん色落ちしていく様がその人の生活を現しており、初めは一緒だったジーンズが唯一の物に変わっていく。
ジーンズがカッコよくなっていけば自分がカッコよくなっていってて、ダサくなっていたら自分がダサくなっていってるのと同じで、生き写しなのだと。
私はその時に買ってくれと頼んだが断られた。
自分のお金で買うことに意味があるのだと。
ジーンズを買うためにお金を貯めることから実はエイジングは始まっていると教えてくれた。
私はおこずかいを貯め、家の手伝いをすることでおこずかいを増やし、中学を卒業する頃にちゃんとジーンズが買えるだけのお金を貯めることができた。
私が通うことになっていた高校は私服登校が許されていたので、これは絶好のジーンズデビューだと思い、初登校日に合わせてジーンズも自分もフレッシュなスタートを切った。
しかしこのフレッシュなスタートは高校3年間の生活を試練の道へと方向付けてしまうことになる。
見渡す限り自分だけだった。
私服姿は一人もいない。
私はジーンズを履きたいという気持ちでワクワクしすぎていて、初日は無難に制服を着て行った方がいいだろうという考えが出てこなかったのだ。
先生たちから目をつけられ、最悪なことに不良の生徒からも目をつけられることになってしまった。
私はケンカなど一度もしたことのない真面目な子供だったので、不良に逆らえることできずに、いじめられ、パシリとしての生活がスタートを切ったのである。
でもどれだけ言われてもジーンズを履き続けた。
そのせいで蹴られたりしても、ジーンズを汚されたりしても。
そこに私のリアルな生活が映し出された唯一のジーンズに育てたかったから。
私なりの、いじめられっ子なりのジーンズを。
よく蹴られるので左のももの外側あたりは色落ちが激しくなっていったり、大量にパンやコーヒーを買って走って運ばなくてはいけなかったためにヒゲがキレイにできていたり、ポケットが缶コーヒーの形にアタリがついていたり、正座を無駄にさせられたりしていたので膝の部分も色が薄くなっていった。
そんなジーンズの変化を楽しんでいれたために、私はテキパキとパシリをしていた。
使われまくることで味が出てくるジーンズと一緒で、パシリとして使われまくることで味が出てきたのか、いじめらることがなくなり、不良の奴らと仲良くなるという奇跡が起こる。
あんだけ攻撃を受けまくっていたが、ジーンズと共に成長するという1つの目標のおかげで、悪くない高校生活を送ることができた気がする。
よくあるようなジーンズの色落ちの仕方ではないが、私にはカッコよく見えた。
父親の言っていたことが正しいのであるなら、私自身もカッコよくなってたはずである。
そんなジーンズを今目の前にして思う。
これが本当のダメージジーンズだな。
完
それでは また あした で終わる今日 ということで。