
35歳からのウソ日記77
2020年8月13日
笑ったら角が立ちフックが来た。
感情を表に出すのが苦手である。
内側ではいろんな感情が渦を巻いているというのに、人からは喜怒哀楽がないねと言われる。
ちなみにそんな私の家には松岡修造さんのポジティブ日めくりカレンダーがトイレにかけられているのだが、彼は喜怒哀楽と書いて「にんげん」と読むらしい。
いろんな感情を持つのが人間であるし、それを表に出すことは悪いことではなく、どんどん感情を表現していくことは素晴らしいことだ的なことみたいだ。
月一でその言葉を目にする。
そして私は毎回思う。
私は人間ではないのだろうか。
少し考えてみる。
しかし何をもって人間なのか、人間ではないのかという判断基準が分からないので人間(仮)ということにしておく。
自動車免許の仮免のように試験を通過できれば(仮)がなくなるようなシステムはないのだろうか。
そもそも自分が人間かわからないという疑問を浮かべる人はいるのだろうか。
浮かべる人と言っている時点でその人は人間か。
ややこしい。
とにかく私は松岡修造先生にしたがってみることが(仮)からの脱出方法としてみた。
喜怒哀楽を表に出す。
内側ではしっかりと感情は湧いているのだから顔の表情や仕草などの動きで表す練習をすればいいのだ。
喜ぶ。
これには万歳が1番適していそうだ。
してみる。
動きは問題ないが、表情が固い。
やや惜しい。
怒る。
物を投げたりすれば伝えれそうだが、表情が固いとサイコパスみたいになってしまう。
なのでここは眉毛を実際のへの字のへの角度くらいにしてみればいいのではないだろうか。
常に怒った顔になってしまうので、他の感情の時に変な感じになる。
ややこしい。
哀しむ。
これは涙さえ流れればいい。
そして目薬があればいい。
ただ泣く時に目薬差しているのを見られたらおしまいだ。
やや惜しい。
楽しむ。
笑顔を作れればいいのだが、これが難しい。
口角を上げてみる。
少量の電気が流れているかのように口の両端がピクピクと震える。
目尻を下げてみる。
これは手を使わないと無理だ。
笑顔のイメージは笑福亭鶴瓶師匠だったが、彼は笑顔マスターであるから私には雲の上の存在である。
笑い声を出すという方法を発見。
ハハハハハ。
なんとも軽い笑い声が出た。
軽さのあまり煙のように空に向かってすぐ消えてしまう。
とりあえず一通りの喜怒哀楽を練習した。
次のステップは実際に人に試してみることである。
知り合いだといきなりコイツはどうしてしまったんだろうと思われてしまうから、他人が望ましい。
外に出かけることにした。
喜怒哀楽を試せるチャンスはどこかに転がっていないかなと本当に地面を探していると、人にぶつかってしまった。
すいません、と無表情に言っている私がいる。
そのせいか相手は怒っているようだ。
そして私に何やら怒りの言葉を吐き出しているではないか。
これは本当にチャンスが転がっていたと思い、まずは喜びの万歳をしてみた。
相手はいきなり万歳を無表情でやってきたために少し驚いたが、それが彼をさらに怒らせる。
そこで私は気づく。
怒っている人の教科書が目の前にいるってことだ、と。
私は頑張って表情を真似し、言葉使いも真似してみた。
相手はさらに怒りのゲージを上げているのが分かる。
私の怒るは成功しているのだ。
私が怒れば怒るほど、相手も怒りに怒る。
これが意思疎通ができているってことか。
楽しい!
ハハハハハ!
私は声を出して笑い、キレイに上がった口角もピクついていなかった。
バコーン!!
彼の右フックが私のちょうどキレイに上がった左側の口角に飛んできて、それを追うかのように私自身も飛んだ。
私の笑いが彼を嘲笑ったように思われて、彼の怒りのゲージが振り切れてしまった。
目薬は必要なかった。
自然と涙が流れている。
哀しみなのか、痛みなのか、自然に笑えた喜びからなのかは分からなかったのだが、流れていた。
相手は殴られて泣いている35歳の大人な私を見て、気持ち悪かったのかそのまま去っていく。
笑う門には福来たるというが、場合によっては、笑ったら角が立ちフックが来るということが分かった。
(仮)が取れたような気分になれたが、フックのせいで折れてしまった奥歯には今、仮歯が入っている。
いつになったら(仮)が取れるのだろうか。
完
それでは また あした で終わる今日 ということで。