【邦画】「武蔵野夫人」
溝口健二監督作品「武蔵野夫人」(1951年)。
小津安二郎、黒澤明と来れば、今度は成瀬巳喜男か溝口健二だろう。
ということで、溝口健二監督作品。原作は大岡昇平のロマン派恋愛小説。主演は田中絹代。
戦後、まだ自然が残る武蔵野の原野に建つ大邸宅を舞台に、両親の死を機に、没落していくブルジョア夫人の禁じられた恋愛と死を描く。
29歳の道子(田中絹代)は、亡き父の家に夫と住む。
戦争が終わって、そこにいとこの大学生の勉が戦地から帰って来る。
やがて、勉と道子は惹かれ合うようになる。
夫の秋山は、近所の奥方との浮気を望んでおり、2人で出かけた先のホテルで密会することに。
一方、道子は勉と散歩に出るが、台風に襲われ、こちらもホテルで一夜を明かすことに。
しかし、道子は勉に身体を許すことはなかった。
勉は家を出るが、やはり道子への想いに苦しむことになる。
事業の失敗もあって、道子夫婦と、夫の浮気相手の夫婦、両家の夫婦の仲はこじれていく。
道子は睡眠薬を飲んで絶命する…。
まさにメロドラマで、武蔵野を舞台に、自暴自棄のデカダンスが蔓延してるが、道子は貞操を守り抜き、勉への純粋な想いのままに死んでいく。
勉と明かす夜に、道子は言う。
「道徳だけが力です。でも、道徳より上のものがあると思ってるの。それは誓いよ。私たちが本当に愛し合っていつまでも変わらないことが誓いです。そして、その誓いを守ることができれば、世間の掟の方で改まっていくわ。そうすれば自分も他人も傷付けないで済むわ」。
よろめき夫人でありながら、最後までよろめくことはなかった。
若い勉は、道子の想いを理解することなく、ただ自暴自棄に走って苦悩するばかり。
死ぬことで純粋な想いを汚すことなく守ったといえ、恋愛ではないが、三島由紀夫の作品にも通じるところがあると思う。
当然、昔の価値観だけど、とにかく女性が耐えて破滅する映画が多い溝口監督。自身の思いがあるのかしら?