「堕落論」
若い頃から度々読んで来た安吾先生の最も有名なエッセイ。今度はハルキ文庫で。
「人はあらゆる自由を許された時、自らの不可解な限定と不自由さに気付く。人は永遠に自由ではありえない。なぜなら人は生きており、また死なねばならず、そして人は考えるからである」。
戦後、人間は一時期の熱狂から戻って来たが、人間そのものが変わることはないのだ。
安吾先生は、「人間は必ず堕落する」と力説する。
「それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人間を救うことはできない。人間は生きて堕ちる。そのこと以外に、人間を救うことはできない。人間は人間だからこそ堕ちるのだ。生きているから堕ちるのだ」と。
人は正しく落ちる道を落ちきることが必要なのだ。そして、日本という国もまた落ちることが必要だ。落ちる道を落ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治や宗教、特定のイデオロギーによる救いなどは上皮だけの愚もつかないものである。
では、堕ちるとはどういうことか?それは、それぞれが自分を見つめて考えなきゃならない。だから堕落するということはバカにはできないものなのだ。
「孤独は人のふるさとだ」という一文に癒される(笑)。
安吾先生は、48歳で、自宅で脳出血を起こして死んでるんだよなぁ。俺は50歳だったけど、死ななくて良かった。
「人間の生活により、その魂の声を吐くものを“文学”という。文学は、常に、制度の、また政治への反逆であり、人間の制度に対する復讐であり、しかして、その反逆と復讐によって政治に協力しているのだ。反逆自体が協力なのだ。愛情なのだ。これは文学の宿命であり、文学と政治との絶対不変の関係なのである」
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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。