「日本人の戦争」
先の大戦では、米海軍・情報士官だったドナルド・キーン氏が、日本の代表的な作家の、開戦の日から戦中、戦後にわたって綴られた日記の抜粋を挙げて、彼らの心中や生活、日常等を紹介した本。興味深く読んだ。
開戦の日は、多くの作家が、左右の政治的立場に関係なく興奮して熱中している。何か目覚ましい勝利や輝かしい未来を約束されたように。
ただ、挙げられた作家では永井荷風だけが、冷静に動じることもなく、ちょっと批判を込めた無関心の態度を貫いている。
まあ、体制に批判的な作家は官憲の監視下にあったから批判など書けなかったこともあるだろうけど。
ただ、日記を公に発表する、しないは別にして、多くの作家が詳細な日記を書いてることは、戦争という歴史的大事を記録して、作家として後世に残しておきたいというものがあったのだろうと思われる。
山田風太郎が、最初から日本の勝利を信じて、最後まで、日本の正当性を主張して、必ずや日本は勝利するみたいなことを綴っている。全面降伏となっても、一億総玉砕を訴えてる。
「日本を救うためには不撓不屈の意思の力であと三年戦うしかない、無際限の殺戮にも耐え抜いたときのみにこそ日本人の誇りは守られる」と。
本人は2001年まで生きたわけだが。
ほとんどの作家が、開戦に希望を見て、伝えられる戦果に一喜一憂して、コペルニクス的転回となった戦後の大衆の様子に驚き絶望する中、永井荷風の、間を置いた第三者的視点は変わらずだ。さすがは遊び人だな。
文章表現を生業とする作家も、やはり戦争という大惨事に当たり、かなりの思想的混乱に陥ってしまったようだ。
日本の敗北で、戦中の自分の態度に整合性を図るのに苦労してたり、戦争前の態度を貫いたり、戦後の米進駐軍に阿る大衆をやたらと貶したり、新しい時代の幕開けと創作に意欲を出したり…様々だけど、一つの大きな社会的価値観が脆くも容易に崩れ落ちるのを目の当たりにして、心中は平易でいられなかったのだろう。それだけ先の大戦は日本人にとってとても大きな惨禍であったわけだが。