「Xへの手紙・私小説論」
批評も一種の文学作品であることをわからせてくれた小林秀雄先生であるが、いかんせん、昭和初期だからか、古くて長くて硬くて難しい。
初期の創作から文学論、表現論、助言、社会批評、講演までも収めるが、口語でさえ理解が難しいことがあるから、いくらカッコ付けても、自分の程度がどのくらいのものであるかがわかろうというものだ。
人は、どんな形にせよ、死というものを自らのものとした時点から、あらゆる行動が「意匠」をまとうことになるのだと。つまりは編集と表現である。
いわゆる“藝術”が人に寄与すること。もちろん単なる知識ではない。知識は今の考えをさらに固める役割しか持たない。それは、正負を交えて、人間の根本的な感情を豊かにすることであると思う。ある対象に接しても、対象そのものを優に超えて、想像・創造の域にまで達する。そして、イデオロギーや風潮に安易に流されて、思考を捨てて、自分を見失うことに抗う勇気を与えてくれるのだ。
「犬はなぜ尻尾を振るのかね。尻尾は犬を振れないからさ」…。
政治とは理論の仮面を被った一種の賭博である。ココに善悪はない。政治の価値は常に集団に沿ったものであり、そこで個人の価値を思っても、政治思想は決して成り立たない。ココに政治の欺瞞がある。この必至の欺瞞のために、政治は人間を阻害する物質的暴力となって終わるのだ。
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