親の介護とは

いつもの時間に目が覚めた。
まだ外は薄暗く、静かで、朝のスズメの声を聞くには少し早い。
ゆっくりとカラダを起こし、呼吸よりも早く、掛け布団がめくれる音、皮膚に擦れる音で、まだ生きてることを実感する。
「むぅ、また同じか
」。
一二は今年
85歳になった。20数年前まで公務員として役所勤めをしていた。
公休以外ほとんど休むこともなく、勤勉に最後まで勤め上げたという事実は、充分、今でも自慢できると思ってる。
横を見ると、まだ妻の和子(83歳)が寝ている。
顔はところどころ黒ずみ、垂れた皮膚には深い溝が刻まれ、白髪混じりの頭がわずかに上下に動く。
スー、スーという寝息が耳に入ってくる。

まだ薄暗いため、一瞬、この僅かに動くものが何なのかわからなくなったが、すぐに納得した。
「お母さんと知り合って、もう長いな。この世間知らずのおバカさんを、この俺が支えてきたのだ。もっと感謝して俺を助けろよ」

最近、何もかもがわからなくなることが時々あって、無意識にその不安を打ち消すために、とりあえず身近な妻を罵ることが多くなった。
眼には周りの動きが見えているつもりだが、そこから先が完全にストップしてしまい、「あっ」と呻くだけで言葉が出てこないのだ。
一枚の薄いスクリーンに写った風景で、その裏には奥行きも幅も何もないように。
そんな時は元へ戻れとばかりに眼をつむって頭を振るけど何も変わらないので、その恐さと恥ずかしさから、やっと出た声を上げて眼に入った妻に「お前なぁ」と意味なく怒ってしまうのだ。
「まだ手を出さないだけいい。こんなの殴っても当然だろうけど、手は出さない。俺は昔から優しいからな」

「おい、おい、起きて。腹減っただろ。何か食わせろ」
乱暴に背中を押す。
「はい。早いのね。ちょっと待って。どっこいしょっと」
「こいつ、どうしていつもこう鈍いのだ。もう6時過ぎてるのに」

……。

熊本地震騒動が終わったら、程なくして本格的に親の介護が始まった。今までの俺の人生で、介護なんて全く、これっぽっちもアタマになかったから、まさか、この俺がやることになるなんて、ホントに人生、何があるかわからないものだ。まだ俺がマトモな身体だったらいい。10年前に脳出血(左視床下部出血)を起こして右片麻痺の2級身体障害者となっちまったから、何をやるのも大変だ。
親のことなんか忘れて、関東や海外で、苦労はしても、ちょい自由に好き放題にやってたけど、10年前に友人宅で倒れて、東京と実家のある熊本で長いこと入院、仕方なく実家に戻ったわけだが、つくづく今までやってきたことのツケが回ってきたのかもと自分の不甲斐なさ、クズさ、ダメさを猛省して、数奇な運命を勝手に感じることになった。
帰ってからも、東京に残した家のローン諸々が払えなくなって自己破産手続き、数十年前から統合失調症を患った妻との離婚手続き(実は今も解決してない…)、さらに2回の大きな熊本地震に遭遇し、心身ともに揺れまくり、落ち着く間も無く親の介護となった。苦労とか人生の大変さってのは人によって様々だから比べることはできないけれど、もうこんな苦労は絶対に買いたくないものだ。
老人介護って高齢者を介抱し世話をすることだけど、同じヘルプをするにしても子供や若者、病人だったら、まだこれからという希望が見えるから、ヘルプしがいがあるかもしれない。老人は、特に自分の親だったら、将来も、希望も、何も見えない。だから、ただただ絶望感しかない。さらに親の醜く汚くなった真実の内面を見てしまうことになる。俺はクズだから、親だから感謝して当たり前、労をねぎらって当たり前、介護して当たり前とは絶対に考えない。子供だったら、どこかで親というものはしっかりしてるものだとの幻想を持ってると思うけど、それが総崩れになって、ああ、今までわからなかったけど真実はこうだったのか…と悟ることも多々あった。思えば20年近くも長い間、電話はしても、顔を見せに帰ってなかったし。今、福岡にいる5歳下の弟は、まだ若い頃はちょくちょく帰ってたらしいが、親が介護を必要とするようになってから、俺が強く要望しない限りは滅多に帰ってこなくなった。

ということで、俺にとって親の介護ってのは苦労の連続と先の見えない絶望でしかなかった。始めは。ひとつだけ光があるとすれば、介護が終わってやっと独りになった時、苦いノスタルジックな思い出として、もしくは役立つ経験として、今後の俺の人生に残るかもしれない。介護で親の現状を見せつけられて、腹が立ってブチ切れて、殴ってやろうか、殺してやろうかと思うこともしばしばだったが、死ぬ時に親への想いを引きづらない、悲しまないための神の配慮かなぁなんて前向きに考えることもあった。2人とも見送った今となって考えると、介護とはやはり無性の愛である。特に、息子は母親の介護に関してはそう思う。でも、それに気付いたのは、もう寝たきりとなって死ぬ間際であったから、遅いと思うけど、悟っただけでも良いと思う。とにかく親の介護で自分も含めて人間を考える機会を与えてくれたことには感謝すべきだろうと考える。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。