「切腹」

切腹の起源は、古代の中国で、宮廷に仕える女性が、不義を疑われて、身の潔白を証明するために、ハラの中には何もありませんと腹を切ったのが始まりと何かで読んだけど…。

日本における切腹は、平安時代の大泥棒・袴垂(ハカマダレ)の切腹(988年)が、記録に残ってる最初といわれているという。

以降、文献にも次々と切腹する武士が現れてくる。

鎌倉時代から、武士社会の成熟と共に、武士の自死の方法として定着する。

切腹が、「最も勇名と気力を要する」行為であって、腹の中には“真心”があって、それを示すことが腹を割く理由となるのだ。

江戸時代に入って、切腹は、自死の手段としてだけではなく、刑罰として採用されるようになったが、一番重要なのは「殉死」である。追腹(オイバラ)ともいうが、死んだ主君の後を追って自主的に自死するのである。

あの世でも主君に仕えたいということだが、殉死は美しいものとする価値観の中で、例えば、熊本藩では、細川忠利(タダトシ)の死に際し、19名が殉死している。

また、武士であれば、犯罪や喧嘩などの成敗として切腹が命じられた他、例え、何の不正も落ち度がなくても、結果責任で、理不尽ながらも切腹を命じられることが多々あった。

武士は日々の生活の中で常に死が隣り合わせだった。日本人固有の責任の取り方といえるだろう。

武士は、主君の御用に立つために存在するのであって、その命を主君に捧げることができればそれだけ幸せだったのだ。いかなる主君であっても。

だから、主君のために命を捨てるその日までは、喧嘩などで命を粗末にしないように気をつけたという。

責任を取って切腹するという行為は究極の潔さだとしても、それが上から強制される場合には、上の者の体の良い責任逃れとして使われることが多い。このような構造は、現代日本にも残ってる部分があるんじゃないか。

しかし、近代の有名な切腹者である三島由紀夫が載ってないのは残念。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。