「猿之助、比叡山に千日回峰行者を訪ねる」
また、図書館で見つけた“千日回峰行”関連本。阿闍梨さんと、あの、事件を起こした猿之助氏との対談。
結局のところ、世の中がどんどん悪い方向に向かってる中、祈願と行を基本とする仏教(宗教)に意義はあるのか、といったことだ。
多分、目に見えての“効果”はないと思われるけど、接した人間個人の内に、命を危険にさらすような苦行や、仏への祈願の様を見たり体験したりする中で、信仰ではなく“共感”することで、苦悩の解決の一助になったり、明日を生きる力になったりすることが、効果であろう。
苦行も、基本は誰のためでもなくて、ただ自分がやりたいからやるということだ。そして、そこに、他人の共感を生む。つまりは、「自分で気付く」ことが重要なのだと思う。
猿之助氏が、宗教者は世の中のためになるように能動的に動くべき、とするのに対し、阿闍梨さんは、個人個人が気付くために仏教は祈願をベースとして、ただ世の中を俯瞰的に見つめるだけ、その評価は後世になってでも構わない、と答えてるのが気になった。
俺も、どんなものでも移り変わっていく真理(無常感)を説いているのが、仏教ではないかと思う。そこに仏を見るのも個人それぞれの内にあるということだ。
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