「関東大震災」

1923年(大正12年)9月1日午前11時58分に関東地方で起こった震度6~7(熊本地震も同じ規模)の大地震。

死者・行方不明者は10万人以上で明治以降の地震被害としては最大規模だ。

今みたいに建物も頑丈ではなく、通信網(一部の電話だけ)も発達しておらず、関東に壊滅的な被害をもたらした。

前日から三十数回の揺れを観測してて予兆はあったらしい。

圧死等よりも、その後に発生した火災による焼死が圧倒的に多い。炎が台風のようになって逃げる人々に襲いかかったのだ。

被災民は、死にたくない一心からパニックになって、地震発生直後から、負の人間性をむき出しにした所業を繰り返した。火事場泥棒の他、死体から指輪や口をこじ開けて金歯を盗んだりする者も多く、人間に対する不信感と畏怖から精神を病む者も多かったという。

その大規模なものが朝鮮人への迫害である。地震が起こってわずか3時間ほどで、横浜近辺から「社会主義者が朝鮮人と協力し放火している」という根も歯もない流言が口コミで伝わってる。

当時の社会情勢から弾圧されてた運動家と祖国を奪われた朝鮮人が、大災害に伴う混乱を利用して日頃、弾圧で鬱積した憤りを日本人にぶつけることは大いにあり得ると考えたのだ。

被災民は大きな不安から些細な噂にも過敏な反応を示す異常な集団となっていった。当時のマスコミもあたかも事実のように報道して被災民を煽ったのだ。

「朝鮮人放火す」の流言が、「強盗す」「強姦す」「飲水に毒を入れる」「集団になって襲ってくる」と広がっていった。

当時の政府も官憲も、流言の火消しに奔走するが、運動家に関する流言は無くなったが、朝鮮人に対する流言は消えることがなかった。

朝鮮人来襲説に怯えた被災民は、各地で悪名高き自警団を作って、それらしき人物を暴行、リンチ、虐殺と暴虐の限りを尽くしたのだ。

関東地方で3000人近い朝鮮人が殺され、間違って殺された日本人が100名近く、負傷が50名ほど。

政府が、被災民に地方への避難を推奨したこともあって、この流言は全国規模となって、地方でも朝鮮人への迫害が起こった。

現代は、インターネットによって日本の隅々まで情報が行き渡り、マスコミもすぐに被災地へ駆けつけ監視するようになって、関東大震災のような事態にはならないと思うが、相変わらず流言や噂の類いは「拡散して」と流れてしまう。災害時に起こる非日常に対する興奮の結果だと思うが、冷静になって考えたいものだと思う。

この未曾有の災害の詳細をレポートしてて興味深く読んだ。

関東大震災に乗じて、憲兵大尉・甘粕正彦によるアナキスト大杉栄、妻で作家の伊藤野枝、甥の6歳の橘宗一の殺害事件の詳細も載ってる。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。