「小津安二郎の喜び」

クロサワさんよりも、小津安二郎の方が好きだなぁということで、解説本だけど、「やっぱり、なるほどぉ〜」と目から鱗が落ちて共感して感心することしきりだった。

現存する昭和4年の最古のフィルムから、遺作となった昭和37年の「秋刀魚の味」まで、ほぼ全作品を貫くものは何かを説明する。

小津安が生涯に渡って狙ったテーマは、“ものの哀れと無常迅速”なのだ。

無常迅速とは、物事の移り変わりってのは速くて、しかも虚しいよなぁ…ということ。もっと言うと、人の一生は意外と短くて、思い掛けずに死は早くやって来るもの、ということ。

戦争から帰った若い頃の小津安が、欧米の映画に強く惹かれて、当時、鑑賞可能だった作品は片っ端から観てたらしいけど、自分が創る映画に、その新しいスタイルを持ち込むということはない。「豆腐屋は豆腐しか売ることができない。せいぜい工夫してガンモドキ。それ以外は売れない」と自分のスタイルを貫いた。

パンと肉の文明に対する米と糠漬けの文明、農耕民族としての日本人を描くことにブレはなかった。だからこそ欧米でも高く評価されているのだ。

そこに、基本的に喜劇を根底として、ロー・ポジションから俯瞰する撮影や流れる人の演出、正面からの人物描写、余韻を残す人が去った空間のシーンなど、小津安独自のテクニックを散りばめたのだ。それは、サイレントからトーキー、カラーになっても変わらない。

俺も産まれる前のメッチャ古い映画監督だけど、絶対なぞなくて、移ろいゆく、滅びゆく、そして次から次へと新しいものが生まれてくる…日常に潜む“永遠なる真理“を変わらないスタイルで表現し続けたのが小津安二郎だね。

まさに無常感だなぁ。

「小早川家の秋」のラストの、火葬場の煙突から煙が上がっているのを見た農家の夫婦の会話。

「なぁ、アンタ、やっぱり誰ぞ死んだんやわ。煙出とるわ」
「あゝ、出とるなぁ」
「爺さまや婆さまだったら大事ないけど、若い人やったら可哀想やなぁ」
「うん、でも、死んでも死んでも、後から後から、せんぐりせんぐり産まれて来るわ」
「そやなぁ、よく出来とるわ」…。

コレに尽きるな。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。