久しぶりの再会

全然大したことのないタイフーン(熱帯低気圧?)により、ただ不安を煽るだけのメディアのおかげで、全てがクローズだった週末、また関東から友人が仕事で福岡に来ていたので、およそ10数年ぶりに会うために行ってきた。

友人は、大学生時代、いわゆる新左翼の“過激派”の党派の同盟員だった女の子で、今は、市民運動には参加することはあるけど、完全に党派を離れて、医療関係の情報管理の仕事をしている。

博多駅近くのホテルで久々に会ったその女性は、変わらず小柄でスリムで年相応にカワイイけど、黒のシックでステキな服装でビシッと決めて、デキるビジネスウーマンのよう。

貰った名刺を見ると、診療情報管理士とあり「博士」の称号がある。今回、福岡に来たのは、医療事務の大会があったからで、1000人くらいの聴衆を前に、数回公演をして来たという。

お互いに中年真っ盛りの年代となって、特に彼女はフツーの女性がしないようなことも経験して来たと思うけど、話を聞いて、彼女の成長ぶりに瞠目するしかなかった。

一日目は志賀島を案内したけど、タイフーンのおかげで人もいないし、全てがクローズ。でも、クルマでいろいろと周りながら、いろんな話をした。雨が酷くなったから、志賀島神社の境内横に並んで座って、気付けば一時間近くになる程、お互いに話すことに熱中していた。俺も、彼女にいろんなことを聞いてもらったし、彼女もいろんなことを話してくれた。

タイフーン一過となった二日目は、お馴染みの荒尾・大牟田の炭鉱世界遺産を案内。彼女が、大変興味を持って、スタッフや案内の人たちに聞くから、元炭鉱員や鉄道運転手のお爺さんらも、暑い中、熱心に案内してくれた。俺も案内のしがいがあった。
「お客さん、前にも来ましたよね」と俺のことを覚えてくれてた。

彼女は、昔はゴリゴリの左の活動家だったわけだが、他の活動家に比べて、やはり許容性・寛容性があった。だから反対する者とも話ができたのだ。その本来の持ち味が、経験を積むことで、さらに進化して、深い人間力を持つに至ったのだと思う。

意見を言い合って、たくさん共感して、いっぱい“生きる力とやる気“を貰った。激しく感謝である。

タイフーンの影響で、彼女の帰りの飛行機が心配だったけど、空港で高級寿司をゴチになって、蜜月なデートだったニ日間を終えた。彼女が、次回は阿蘇に行きたい、というので張り切って案内するつもりだ。

人間、やっぱり、得た経験や知識を自分なりにどう活かせるか、だよなぁ。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。