【古典邦画】「藪の中の黒猫」
新藤兼人監督の、1968(昭和43)年の作品「藪の中の黒猫」。
素晴らしいカルト作品「鬼婆」(1964年)を撮った新藤監督らしく、哀切を秘めた不気味な怪談映画であった。
平安時代、野武士の一団がある農家を襲い、中にいた母・オヨネ(乙羽信子)と嫁・オシゲ(太地喜和子)を暴行し、火を放って立ち去った。
数年後、都の羅城門の近くを武士が通りかかると、オシゲに似た女が現れて、武士を藪の中にある屋敷に招き入れる。
屋敷には、オヨネに似た中年女もいて、2人で武士をもてなす。
オシゲに似た女が、武士を誘い込んで床に入ると、喉に噛みつき、武士は息絶える。
羅城門を通る武士たちが同様の目に遭い殺される。
この事態を重く見た源頼光は、この妖怪退治を、農家出の武士・ハチ(二代目中村吉右衛門)に申し付ける。ハチの母がオヨネで、オシゲは妻であった…。
ハチは、妖怪となったオヨネとオシゲに再会、7日間通い、妻のオシゲとは情交するが、2人はハチを殺さなかった。実は、2人は、野武士に暴行されて殺された恨みから、飼っていた黒猫を通して、冥界の妖怪となり、武士に復讐するために現世に戻ったのであった。
オシゲは、冥界の掟を破り、ハチと愛を交わしたために、永遠に地獄へ堕ちることになったのだ。愛する夫のために、掟を破り、覚悟の上で地獄に堕ちたのだ。
新藤監督らしく、戦を優先する武士社会の理不尽さや、犠牲となる農民ら下層階級の現実を訴えるような長台詞もあり、ハチと母親、妻との哀しみ溢れる交流が描かれる。
妖怪退治を申し付けられたハチは、仕方なく母オヨネと闘うことになるものの、結局、野武士によって焼け落ちた家の中で、天を仰いで息絶えるのだ。
単に怪談としてだけではなくて、道理の通らぬ武士社会の中で、日本的な情念と悲哀を表した良い作品であった。
新藤監督は毎回、人間の奥にある汚い黒いものを表に引き出してくるから面白い。
優しい表情から憤怒の表情に変わるメイクや、猫のように飛び回るオヨネも、モノクロと相まって、シュールさ、不気味さ満点だ。