「死の文化史」
人間は誕生以来、明らかでない死んだ後の世界に一番、脳を働かせて想像力を使ったのではないだろうか。神よりも。
この本には、実に多彩な世界各国の死に対する文化が紹介されてる。だいたい、この世とあの世は繋がってて、アッチにはアッチの生とそれを取り巻く世界がある。死は単なる転換期(通過儀礼)に過ぎないのだ。
やっぱり、人間は死に対して、原初的な恐怖を持ってて、あの世と繋がってると考えることで、その恐怖を和らげてきたのだと思う。
例えば、ミイラなんか現世の姿を残しておきたいという未練の他、魂が還って来て、あの世でも活動できるように残すという意図があるが、あれだけ風化が進んでしまえば、残されても困るよなぁなんて考えるね。様々な生前の装飾品と共に埋葬されるが、エジプトなんかほとんどの墓が盗掘されてるから、ドロボーに死に対する畏れはなかったのだろうか。
しかし、人間の死に対する儀式、儀礼、宗教、しきたり、風習、習慣、形式、それに様々な表現のなんとも多彩で豊かなことよ。人間が一番、想像力を働かせるのは、生よりも死なのかもしれない。
死ぬという概念は現代医学によって曖昧になってしまい、そのうちに死が人間の最終的なものでなくなってくるかもしれないけど(例えば、AIによって肉体はなくなっても意思だけ残るとか)、俺は基本、生物として活動できなくなったら、それは死ぬということで、その後は、ただただ絶対的な「無」であって、そこには世界も何もないと唯物論的に考えるね。
死ぬという言葉が性のオーガズムと同義語として使ってる文化もあって(もう死ぬぅぅー!ってことか 笑)、実は死とエロスの関係ってめっちゃ深いと思う。死はエロチシズムの極致である(ジョルジュ・バタイユ)…は三島由紀夫先生も言ってた通り。
エロスといえば女性が死に対して重要な働きをする文化も多い。生をもたらしたから、死も面倒を見るべきと考えられてるようだ。
さて、俺にも平等に、どのように死は訪れるだろうか?