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中学生の自分を思って…



昨日は1日、自己内省dayでした。

朝からオンラインサロン、そしてそこから昼過ぎまでスタバで自己内省の為に絵を描いたり、本を読んだり、noteを書いたり…

そのあとはそのまま帰宅しようと思っていたのだが、ふとある場所に行きたくなったので、時間もあるし直感に任せるがまま、目的地まで向かった。



目的地に着くと、そこはただの荒れた空き地。
わかっていたけれど、気持ちの良い日差しに包まれているにも関わらず心にスッと冷たい風が吹く。


向かった先は中学生の頃3年間野球に励んだグラウンド。学校の部活とは別に硬式野球のクラブチームに所属していた。
週末はもちろん、平日の夜の自主練習にも片道30分自転車を漕いで通ったグラウンド。


(かろうじて昔の形がわかるが、ベンチや倉庫はもちろん撤去されている。)


近くに大型の商業施設が建設され、それに併せて作られた新たな道路を通すために、数年前にグラウンドは潰されてしまった。


グラウンドが潰れてから2回ほど来たことはあったが、冬の枯れ果てた感じといい、さらに造成を行おうとけたたましい音を立てて土を運ぶ重機といい、いつもよりも悲しさが際立つ。


(何回通ったかわからないグラウンドへ降りる坂道。自転車で転んだこともあるし、トレーニングのダッシュもいつもここだった。野良犬にも追いかけられた。)


先述の通り僕はここで3年間野球をしていた。
中学生の3年間の思い出は僕の中では少しグレーがかって見える。
精神的にとても不安定で、人を平気で傷つけ、そして自分も傷つけられたりした。
思い通りにいかない時は怒りに身を任せたり、逆に殻にこもって口を聞かない様な時もあった。

野球は好きだったし、チームメイトも好きだった。
けれどどこかで全てをひねくれた視点で見ていた様な気がする。

全国大会に出るような比較的強くチームの雰囲気も良い環境だったが、何故だか勝手に強いコンプレックスを抱えて、全力で自分の弱点や強みに目を向けようとしなかった。本当に自分に向き合えなかった。

今思えば、「自分の下手さに向き合う勇気がなく、いつかできるとか、皆んなが上手いから何とかなると、可能性の中だけでぬくぬくと過ごしていた」様な気がする。

全力で自分から、いや全てから、現実から逃げていた時期だった。


(ポツンと落っこちていた外側の皮が剥がれた硬式球。ボロボロのボールを大事に使っていた事を思い出す。)


閑散としたグラウンドを枯草を踏み分けながら一周して、そんな事を思い出していた。
昨日の僕は多分このグレーがかった思い出を頭ではなく体で感じたかったのだと思う。

そうする事で、より足元を踏み固めた上で今日からまた歩み出したかった。

『なんでここに来たんだろう。』

グラウンドを一周し終えるくらいに自分に問いかけた。


多分、自分と自分を取り巻く現実を受け止められていなかった時代、言い換えれば「今を生きていなかった時代」を、気持ち良い事ではないけれど、あえて感じに行く事で、今日考えた「今この瞬間この刹那に全てを注ぐ」という事に更なるコミットメントをしたかったのだと思う。

そして今まで直視したくなかった中学時代をも包括してこれからを歩み出したかった。



1日経って、綺麗さっぱりそう思えているかというと決してそうでは無いけれど、「何か」がセットアップされた気がする。

どこか中学生の頃の僕を愛せた気もする。
そしてこんなにこの場所が好きだった事にびっくりした。その感情がなんだか嬉しかった。
それだけで満足だった。

(結局一本も柵越えできなかったライトのネット。コイツのお陰でなんとなくグラウンドに見えた。)

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とも
ともですっ、最後までご覧頂き本当にありがとうございます^^