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その2 苅田(かりた)燃料店フランダースのゴン
どうも。
苅田燃料店のお兄さんが、数十年後には髪が無くなり、誰だかわからなくなった事に衝撃を受けた
むらさき納言です 🙂
前回のお話は、こちら
立ち上がったゴンに驚いて、国道に飛び出してしまった私…
その時ゴンは、確かに私を見た。
私もゴンと目が合って、一瞬喜びが走った。
も…束の間💦
気づいた時には、私は倒れていて
身体にタイヤが乗っていたのだ。
それから、少し記憶が飛んだ…
何が起きたのか分からなかった。
オートバイに ぶつかったのだ…
普通こういう時は、救急車が来るだろう。
しかし、私が覚えている事は、オートバイを運転していた男の人が、私を片手で抱き抱えて、そこいら中を
歩き出した事だった 😳
「この子を知りませんか! 誰か
この子の家を知りませんか!」
彼は、叫び出したのだ。
ぶつかって倒れている子供をいきなり運び出すなんて、頭でも打っていたら間違いなく、このバイクの男に昏睡状態にされていて、今頃はこんなブログも書けずにいただろう。
神に 感謝 😭
そして暫くして、また記憶が飛び、
次の場面は病院だった。
町で一二を争う、腕の良いと言われていた安藤(あんどう)整形外科病院
※ 町には整形外科は2つしかなかったが 😆
母に付き添われた私は、色々検査を受けたが、軽い打撲程度だと診断されたのだった。
しかし、母の歪んだ表情が忘れられない…
待合室の隅に、私を轢いたバイクの男が座っていた。
私を抱き抱えていなかった、もう片方の腕を骨折していたのだった 😰
「 もう本当に申し訳なくて、申し訳なくて 😱」
申し訳ないのオンパレードで、バイクの男に謝罪し続けていた母…
確かに、道路に飛び出した私が悪いのだろう 😣
けれど、なんか加害者になった雰囲気が解せず、子供心にもかなり落ち込んだ…😢
ショックな事故が起きたので、暫く安静と反省をする事になり、自宅療養という名の謹慎を命じられたのだった…
無論、原木商店の買い食いも許されず、昼ドラ鑑賞もご法度であった💦
そんな日々も終わりを迎え、自宅謹慎を解かれた私は、恐る恐る事故現場に足を運んだのだった。
「本当に びっくりしたなぁ…」
その時、気づいた
「 あれ?ゴンがいない…😲」
その数年後に放送された、あの伝説の最終回「フランダースの犬」をテレビで観た私は、号泣した…
あの時、確かに目が合った。
私の存在に気づいてくれた。
ゴンは、私を救ってから虹の橋を 渡ったのではないかと、今でも思っている。
なぜなら
ゴンは 働き者だから。。