
映画MR. JIMMYミスター・ジミー25年1月10日、新宿シネマカリテで観て。
ネタバレなしで、何もミスター・ジミーを、ジミー桜井というギター・リストを知らない人が、この映画を観ると、みるみるうちに襟を正して魅入ってしまうことになるんだぜ、そんなレビューをみなさんに、と思ったが、正直今やネットでちょっと調べればどれだけ彼が凄い人なのか、わかってしまうわけで、そういう空々しいネタバレなしはやめにした。
可能な限り映画の内容のネタバレはしない。でもジミー桜井が凄い、ということに関してのネタバレは先に言ってしまっておこう、ということだ。例えば24年の大晦日、ニューヨーク州エルモントのUBSアリーナで行われたビリー・ジョエルのライブ、そのスペシャル・ゲストはジミー桜井がギターを弾くバンドであった。
殆どの日本人は、ジミー桜井という人を知らない。それが知らなかった、なんで知らずにいたんだ、となる瞬間。
ジミー・ペイジを、というか彼がリーダーでプロデュースしたレッド・ツェッペリンというバンドによる、その時期毎で異なるどれもが全盛期の魅力的なステージを、メンバーやスタッフと共に、完璧にコピーする、させてしまう男、ジミー桜井。言うは易し、行うは難し。
映画館にて。今ここでこの映画を観ていることが信じられない。何が信じられないのか。ジミー桜井さんのドキュメンタリー映画を撮ろうとカメラを回すことを決めた監督ピーター・マイケル・ダウドに、だ。
この映画はドキュメンタリーだが、ドラマチックなストーリーがある。コピー・バンドの話とだけで思って観たらガツンとやられる(実はそんな気楽な気持ちで映画館に足を運んで欲しいのだが)。我を捨てジミー・ペイジとなることを追求し続ける、それだけのことをジミー・ペイジを含めたミュージシャン、観客が賞賛し、映画を観た僕らはそれに共感する。
しかしこれらは当然の帰結ではなく結果だ。ジミー桜井が渡米した際に監督は映画を作る決断をしたのだろう。予言者か、でなければ博打師か。人生は物語、なのかもしれないけど、こんな展開を監督は想定していたのだろうか。
舞台挨拶で桜井さんが「この映画が完成するのか半信半疑だった」と飄々と仰っていた。結果オーライ。否、そんな言葉は全く当てはまらない。万事塞翁が馬、でさえ影が薄い。
ミスター・ジミーはジミー・ペイジへの追及だけを考えているわけではない。レッド・ツェッペリンはバンドだ。そのコピーのためには他のメンバーのクオリティーも求められるし、コスチューム、ステージ再現、その制作には沢山のスタッフによる支え、そしてそれらのためのお金が必要だ。
監督が桜井さんを選んだ、というよりは、ピーターがミスター・ジミーにガツンと魅了されちゃったんだね、の方を僕は邪推する。
監督はなぜこの映画を作ったのか。物語を語りたかったわけではないだろう。ミスター・ジミーという人間を知って欲しかったのだ。そして何よりミスター・ジミーが繰り出すサウンド、そのカッコ良さを。
まだまだ進化するジミー桜井。映画の続編は彼のステージ、今後の活躍で知ることになる。
『MR. JIMMY ミスター・ジミー レッド・ツェッペリンに全てを捧げた男』、コメントの依頼を受けて、考えたその候補の中に、プリンス好きにどう思われるか心配してお蔵入りにした文がある。今や自信を持ってここに記しておく。
❝目をゴシゴシ。これって僕が大好きな映画『パープルレイン』みたい❞。