アダルトチルドレンの生きづらさについて ~熱湯事件より~

 最近、人の優しさを「痛み」と感じてしまう自分の心のメカニズムが解ってきた気がする。

 私が高校生だった時、深夜に階下から悲鳴のような声が聞こえた。慌てて階段をかけ降りると母と祖母が取っ組み合っていた。
 何が起きているのか分からず咄嗟に「ばあば大丈夫?」と叫んだ。それを聞いた祖母は我に返り外へ出て行った。
 何となく祖母を追い掛けると階段に千枚通しが置いてあるのが目に入り慌てて母のもとに戻った。両親の寝室は水浸しで何が起こったのか少しずつ理解した。寝ていた両親に祖母が熱湯をかけたのだ。
 父は顔と耳の中を火傷し聴力が弱くなった。母は肩から腕に火傷を負った。

 千枚通しも見つけてしまっていたし家の中だけで収まる話ではない気がして110番に通報した。警察には両親が祖母から熱湯をかけられた事、深夜なのでサイレンを鳴らさずに来て欲しい事を伝えた。
 程なくしてチャイムが鳴り玄関を開けると一面に真っ赤な光が広がっていた。今考えたら、来ていたパトカーなんて、せいぜい3~4台ぐらいのものだったと思う。けれど玄関から見えた一面の真っ赤な光を忘れる事は未だにできない。

 警察は帰り、呆然としながらもバイトを入れてしまっていた事を思い出した。クリスマス用のケーキ作りのバイトだった。朝6時に沼津駅に集合する約束。
 今のように携帯で連絡を取る事ができなかった時代だから暗く寒い道を自転車で駅まで向かった。
 バイト先のおじさんに恐る恐る母が怪我をしてしまったから今日は仕事ができない旨を伝えると私の心配とは裏腹に、優しく「大変な時にちゃんと断りに来て偉かったね」と褒めてくださった。

 この一連の“熱湯事件”を思い出す度に一番痛みを感じるのは、とても不思議なのだけれど、このおじさんの温かい心を有り難く感じる瞬間だ。

 異常な事態に接し、痛みを感じない状態にする為に感情を凍結。温かさに触れ、凍結が溶けた瞬間、痛みが雪崩れ込んでくる。おじさんの言葉を温かいと感じれば感じる程、痛みは強くなる。

 そして。大人になった今も私は、人の温かさに触れる度、痛みを感じる人間のままだ。

 アダルトチルドレンとは「機能不全家庭で育った大人」と定義されているけれど、アダルトチルドレンが感じる生きづらさはなかなか理解しにくいと思う。
 この話で何となくだけでも十分だからアダルトチルドレンの生きづらさを想像して頂けたら有り難いと思う。

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