私の記憶の引き出しは、そこに収められるはずの内容が少し過酷だったせいなのか壊れている。だから生きた記憶というより、他人に起こった出来事を遠目から観察していたかのような雰囲気で脳裏に残っている。 私には四歳上の知的障害のある姉がいる。小学校低学年の時、教室の窓から、グラウンドで泣きじゃくる姉の姿をよく見かけた。あれだけ頻繁に虐められていたのだから先生達だって気づかなかった筈がない。当時はまだ障害のある者を指差して笑う差別が蔓延る時代だった。 家でも姉は苦痛を強いられた。
最近「ヤングケアラー」や「きょうだい」という概念を耳にする。 子どもながらに家族の介護をしてきた「ヤングケアラー」や、兄弟姉妹に介護が必要だった人を指す「きょうだい」。 彼らは、大人になっても心に何かしらの傷を抱えていたりする。自助グループもあり当事者同士で分かち合いをしたりしている。 私は「ヤングケアラー」でもあり「きょうだい」でもある。 父 …アルコール依存性、常に暴言DV、71歳で自死、(一級建築士) 母 …アスペルガー、「姉と自殺する」と日常的にヒステリ
最近、人の優しさを「痛み」と感じてしまう自分の心のメカニズムが解ってきた気がする。 私が高校生だった時、深夜に階下から悲鳴のような声が聞こえた。慌てて階段をかけ降りると母と祖母が取っ組み合っていた。 何が起きているのか分からず咄嗟に「ばあば大丈夫?」と叫んだ。それを聞いた祖母は我に返り外へ出て行った。 何となく祖母を追い掛けると階段に千枚通しが置いてあるのが目に入り慌てて母のもとに戻った。両親の寝室は水浸しで何が起こったのか少しずつ理解した。寝ていた両親に祖母が熱湯