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妖怪の戯言

 最近「ヤングケアラー」や「きょうだい」という概念を耳にする。
 子どもながらに家族の介護をしてきた「ヤングケアラー」や、兄弟姉妹に介護が必要だった人を指す「きょうだい」。
 彼らは、大人になっても心に何かしらの傷を抱えていたりする。自助グループもあり当事者同士で分かち合いをしたりしている。

 私は「ヤングケアラー」でもあり「きょうだい」でもある。

父 …アルコール依存性、常に暴言DV、71歳で自死、(一級建築士)

母 …アスペルガー、「姉と自殺する」と日常的にヒステリーを起こす

姉 …知的障害、統合失調症、自殺未遂数回、叫び暴れる日常

祖母…父と母を襲い警察沙汰に→祖母を捨て一家で夜逃げ(私、高2)

私 …いい子を演じ一級建築士になるが31歳で壊れて精神障害者に

 私は、子どもの頃から(人生ってなんて過酷なのだろう)と思ってきた。置かれた境遇が特殊な事には気づけず、それが普通だとばかり思っていた。
 31歳で複雑性PTSDを発症した為、壊れた箇所を修復する必要を感じ、立ち止まる事を覚えた。少しずつ、自分の置かれた境遇が特殊であった事の認識が深まった。でも、やっぱり、たとえ境遇がいくら整っていても、例えば大切な誰かを突然失ったりする可能性をはらんだ人生を生きるのは、誰もが大変なのではないかと思ってきた。

 そんな時に遭遇した、ヤングケアラーや、きょうだいという概念。家族の中の誰かひとりでも介護が必要な状況だったら当てはまるらしい。

 私は幼いながら他の4人のケアをしてきたと振り返る。更に頼れる人はいなかった。孤独すら感じる暇もなかった。次々に発生する家族の問題を解決する事だけに必死だった。

 父の浮気、父とヤクザみたいなおじさん達がいる麻雀部屋への恐怖のお酒運び。母のヒステリーをなだめる役、グチばかり言う母のカウンセラー役(母のごみ捨て場は私)。叫び暴れる姉の教育、姉が虐められて盗られたランドセルや眼鏡などを探す、よく迷子になる姉の捜索。家族相手に土地の権利などを巡り裁判を繰り返す祖母への対応、裁判用の内容証明を書くのも私だった。父の経営する設計事務所の年賀状なんかも当然、私。

 学校で嫌な事があっても、家に帰っても大丈夫な自分に戻るまで公園で過ごした。宿題や勉強は家族が寝静まってからコッソリした。自分自身の大変さは隠し、余裕のある私を振る舞う必要を感じ続けた。

 月日は流れ、父が自死をした。父の自死の少し前に私の住む街に夜逃げしてきた母は動かない。警察の事情聴取や、お葬式、経営していた事務所の廃業手続き、従業員さんへの退職金の支払い。大変だった。
 でも、ダントツで大変だったのは、死因を隠す事だった。母に話せば、母は姉に伝えてしまう。知的障害を抱えても強く明るく生きている姉には知らせたくない。苦しみを抱え込む事の出来ない人が母だから。父の自死を自分の胸の中だけに押し留めるのは未だに苦しい。

 私のうがった見方のせいかも知れないが、ヤングケアラーなどの苦しみを取り扱った映像や文章を見ても、正直に言って(そんな、ちっぽけな事で苦しめるのか)と驚いてしまう。同時に(あ〜、人間はこのぐらいの事でも苦しむ生き物なのか。それじゃ、私が寝たきりのような生活を送っているのも無理のない事なのか。)と思う。
 まあ、苦しみの尺度なんてナンセンスな話だと思うから、あくまでも私の感じ方でしかないとは思うが。

 ここ1年程、カウンセリングを受けて、記憶を取り戻すEMDRと呼ばれる療法も受けた。でも、ほんの僅かな安全で機械的な記憶しか出てこない。人間的な記憶は、まだまだ危険なのだろう。人物の記憶がない。

 引きこもりを続けていれば、いつかは(人恋しい、とか、淋しい)といった気持ちを抱ける「人間」になれるのではないかと期待していたが、そんな兆しは一向に無い。
人間と向き合わない生活の楽さに埋もれていく。

 なんだろうな。寿命まで生きても、人間には成れない事を悟ってしまった妖怪みたいな気分。変な表現だ。

 最近どうしようもなく虚無で、自分が何を考えているのか、さっぱり手に取れなかった。でも偶然、文章にしたら手に取れた。よかったのかな。

 さて、根暗人間、相変わらず、どこに向かっているのか分からない。ま、のんびりいくか。

※写真には、生きるモチベーションを載せました🐧🐌

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