【生きるための学びを!】『学校の「当たり前」をやめた。』(著:工藤 勇一)を読んで①
こんにちは!
以前、現広島県教育委員長の平川理恵さんについて、その著書や広島県の取り組みについての書籍を紹介しました。
今回も「前進的な」校長先生の著書を紹介したいと思います。
工藤勇一さんはもともとは故郷山形県で教員を始め、その後、東京都の教職員に転職(と言う表現は正しいのでしょうか?)され、千代田区立麹町中学の校長を歴任され、現在は私立横浜創英中学・高等学校の校長をされています。
私はテレビ東京のカンブリア宮殿で、工藤先生のことを知りました。
日本の学校教育の中では「宿題」「定期テスト」「学級担任制」といった当たり前に行われていることを廃止し、子どもの育成にとって重要なことにフォーカスした教育を掲げていらっしゃいました。
以前の平川さんの例や工藤さんの例を見ると、校長先生の裁量は大きいと感じます。もちろん1つの学校だけでは広がりは難しいですが、それでもそこから良い実例が横展開されるのは理想と言えます。
リクルート社や楽天が強いのは良い事例を横展開(社内の別組織へ)を徹底しているからと言われています。リクルート社であれば、TTPと略され、これは徹底的にパクるという意味です。楽天ですとヨコテンです。
では、工藤さんの著書で、生きるための学びに繋がる考えを紹介していきます。
多くの教育に関わる方が、学校と社会とのあるべき繋がりは意識されているとは思いますが、そのリンクの強さはあるべき姿に遠く及ばないと外側にいる身から感じます。
個人的には、社会に出る前に
・他者を思いやる気持ち
・基礎学力
・興味や好奇心
・コンピテンシー(情報を処理する力、論理的思考力、想像力/創造力、プレゼンテーション力、チームワーク、リーダーシップ、やりきる力など)
と言う4つの要素を伸ばしていくことが望ましいと考えていますが、現在の公教育がどこまでそれを実現できているのかに疑問を感じます。
少なくとも校長先生には学校経営者(公立校であっても)としての意識をもって、取組んでもらいたいと思います。
長女(小学4年)の宿題の様子を見ています。彼女は公立の小学校に通っています。宿題としては、「教科書の読書」「漢字の書き取り10文字×5回」「計算問題10題程度」を持って帰って、20分ほどで終わらせています。
果たして、これは何の意味があるのか、大人から見ていて疑問です。彼女の深い学びにはならず、機械的にこなしているだけになっています。
週に5回だとすると、1時間半~2時間をこの時間に費やしています。それであれば、2時間の別の心がわくわくする能動的活動(ゲームをするや動画を見るは個人的には受動的活動と感じています)に費やした方が、人生を前向きに捉えることができるのではないでしょうか。
学校がある週が35週程度と仮定すると、70時間もの時間的浪費が発生しています。
基礎学力の定着が目的だとしても、それは本来授業の中で実現することが期待されるポイントです。また高校の理系を捨てた身としては、基礎学力の定着というポイントさえも公教育では達成できていない現状があり、学習塾という私教育の産業を支える構図となっているのが、我が国の教育と言えます。
形式主義をやめ、子どもの本来の学ぶ力、生きることに直結する学びを取り戻す必要があると言えます。
一律教育による弊害について、考える大人は少ないと感じます。なぜなら生きる過程の中で、当たり前のこと過ぎて、疑問を挟む余地もないことですし、廃止を唱えたところで、権威主義的体制に黙殺されるのがオチと言う諦めがあります。
そうした面でも工藤さんのご指摘の通りだと感じます。この仕組みは公文式やスイミングの級制度、など多くの「習い事」で実践されています。
できたらパスして次に進んでいく、できなければできるようにトレーニングして、できるようにする。社会では当然とされていることが学校教育では当然ではない現実があります。
試験前日に無理やり詰めた知識は、長期記憶に中々残り辛いのが現実ですし(まさに一夜漬け)、その労力の無益さに何の意味があるのでしょうか?やりきる力を鍛えるとしても別の方法で良いと思います。
ちなみに宿題と定期テスト廃止は子どもたちだけでなく、ただでさえ忙しい先生の労働量の削減に繋がるのではないでしょうか。
こちらの書籍は多くの学びに繋がる内容があります。次回は後編をお伝えします。