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僕には、思い出の給食のメニューがない。

僕には、思い出の給食のメニューがない。

「給食で、何よりも大好きだったのが鶏ササミのレモン煮なんだよねー」
と、妻が何気なく言った。
僕はササミのレモン煮なんて聞いたこともなかったが、妻は給食の献立表を見てレモン煮が出る日はもう楽しみで仕方がなかったと言う。

「あなたは、なんの給食が好きだったの?」
何気なく聞かれて、僕は答えに詰まった。

いくら考えても、「好きだった給食のメニュー」がひとつも思い浮かばなかったからだ。

***

「お前、太ってるからちょっとにしておいてやるよ」
そう言って給食当番の男子から盛られたシチューは、ほんの一滴だった。
持っていたアルミの食器に落ちた、白い点。
「はい、次のひとー」
そう言って、僕の後ろに並んでいた子の食器にシチューを注ぐ。

パンは、別の子が食べたいからと、僕のお皿の上には盛られなかった。
牛乳も同様だった。
お盆の上に乗った、食器についた白い点。
これが、今日の僕の給食だった。

当時、太っていてイジメにあっていた僕にとっては、ある意味で日常とも言える風景だ。お腹が空いたのを我慢して、じっとお昼の時間が過ぎるのを待っていればいい。ただ、じっとしていれば時間は過ぎる。

だが、見かねた女子が「かわいそうだよ!」と僕のお皿を給食当番に突き出す。
彼は、渋々嫌そうに、お皿に少しだけシチューを盛った。
それを女の子が「はい」と僕のお盆の上に載せてくれる。

だけど、僕はそのシチューを一口も食べることができなかった。
「女子にかばわれた」というのが、当時の僕の惨めで情けない気持ちに拍車をかけていた。
「ありがとう」
と言って、素直に食べられたらどんなに楽だっただろう。

食欲がなくなったわけじゃない。
周りではみんなが楽しそうに、美味しそうに食べているし、お腹が空いて空いてしょうがないのに、手を付けられなかったのだ。
先生や誰かが「食べないの?」と心配してくれても、「おなかすいてないです」とごまかしていた。

だから、家に帰ると冷蔵庫や戸棚から食べられそうな物を見つけては貪り食っていた。味なんかどうでもいい。
食べられる物があって、胃を満たせればそれでよかった。
一度など、食べるものが家の中に見当たらず、調味料入れに入っていた大量の砂糖をそのまま食べたこともあった。

***

食べることへのコンプレックスは、学校だけじゃない、家庭での暮らしの中でも養われていった。

「もっとお寿司食べな」
と、おじいちゃん、おばあちゃんがお寿司を僕に取り分けて差し出した。
夏休みの帰省時。
珍しく親戚が集まって、皆で出前のお寿司を食べていたのだ。

普段はお寿司なんてめったに食べられないから、僕は嬉しくなって差し出されるままに食べていた。

「ほら、そんなに食べたらますます太るから、もう食べるな」

僕に差し出されたお皿は、父の手に取り上げられてしまった。
たったそれだけのこと。
だけど、その時に絶望と言えるほどに悲しい気持ちになったのを、今でもよく覚えている。
別に、お寿司が食べられなかったことが悲しかったのではない。

「自制できない自分」「太っている自分」が恥ずかしくて、情けなくて、それを指摘されたことが、悔しかった。

***

だから僕は、食べることにずっとコンプレックスを抱いていた。
人前で食事をするのが恥ずかしかったし、たくさん食べるのがみっともないと思っていた。

***

妻との何気ない会話の中で、ふとそんな過去を思い出した。
僕には、思い出の給食のメニューがない。
それはそれで、別に人生に支障はないけど、少しだけ寂しい気もした。

「これ美味しいからちょっと食べてみ?」
娘が目をキラキラさせながら、食べかけのうどんを差し出す。
ひとくちもらって、美味しいね、と返す。
娘は、自分で作ったうどんを褒められたかのように、誇らしげにドヤ顔をした。

僕は思う。
娘には食べることにコンプレックスや引け目を感じて欲しくない。
なぜなら食べるというのは、とてもとても楽しくて、幸せなことなのだ。

僕自身、子どもの頃とは違って、今は食べることがとても好きだし、料理も好きだ。シンプルに、食べることで幸せを感じることができる。

だから、娘には好き嫌いをなくすことよりも、まずは「ご飯を食べるって楽しいね」って思ってもらいたいのだ。

だから僕は「みんなで楽しく囲める食卓」を大切にしたいのだ。



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三木智有|家事シェア研究家
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