森の中の幼稚園で遊び尽くす娘にはかなわないこと。
わが家は去年、娘の教育環境を変えようとおもって東京から京都へ移住。
娘は森の中にある幼稚園で、毎日走りまわり、家に帰る前に眠ってしまうことも多いほど遊び尽くしている。
今日はそんな幼稚園の森を親子で楽しむイベントの日。
幼稚園の園舎を起点に、森に点在する各広場毎に先生たちが出し物を準備。
石を拾ってペーパーウェイトを作ったり、木の枝を十字に重ねて毛糸で編んでいく十字編みをしたり、木の枝を拾って来て花瓶に挿して飾り付けをしたり。
冒険や散策なんかもある。
地図を渡されてどの広場に行こうかと考えながら森を探検。まるでRPGのように楽しさで溢れている。
この日のコンセプトは「普段遊んでいる森をパパ、ママ、家族に紹介する」。紹介してくれるのはもちろん子どもたち。
うっそうとした森の道の途中にある獣道のような脇道に「こっちやで!」と連れて行ってくれる。その小道を見て「いやいや、マジでそこ入るの?」って思ってしまう。だけど、倒れた木をまたいで、眼前に覆いかぶさってくる小枝を払って、木の根っこに足を取られながら進んでいくとちゃんと広場がある。
崖のようになっているところに身を乗り出す姿を見て「危ないよ!」なんてオロオロと注意するけど、いざ自分が松ぼっくり散策をしていると「そっち危ないで!」と子どもに注意される。
事実、足場になると思っていた倒木は腐ってグズグズ。踏み外して転がってもおかしくない状況だった。
大人って、子どもに対してついつい自分の方が知ってるって思いがち。だけどこの森では子どもたちがリーダーだ。
むしろぼくたちは、森のことを何も知らない。
小人のような視点から、石を拾い、どんぐりを探して、土の湿り気に触れて木にしがみつく。
そうした行為を通して、娘や子どもたちは森を知っていく。
森の散策をしながらぼくはレイチェル•カーソンの『センスオブワンダー』を思い出した。
残念なことに、私たちの多くは、大人になる前に、澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直観力をにぶらせ、あるときは全く失ってしまいます。
※センスオブワンダーより
雨の匂いや、土の匂い。木々の音や目の前にあるたくさんの不思議。
ぼくがいつの間にか気づかなくなってしまったそういう感覚を、いま娘は全身全霊で日々感じているのだろう。
そうだとしたら、それはきっとかけがえの無い体験のはず。
ぼくはこの森に娘と来るたび、ここに一緒にいられる喜びを身体の奥底から感じるのです。
レイチェルカーソン氏のセンスオブワンダーは知る人ぞ知る名著。薄くてすぐ読めてしまうのに、自然への愛情と畏怖が伝わってくる一冊。
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今日も見に来てくれてありがとうございます。
自然の中で遊びまわる娘がとても頼もしく思えるなんて、不思議な気持ちです。
ぜひ、明日もまた見に来てください。
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