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「この石ころの面白さがわからないなんて、お前さん、つまらねぇ大人になっちまったんだな」

ぼくには、子どもの考えていることがわからない。

ただ道を歩いているだけなのに、突然しゃがみこんで石ころで遊び始めたり。
いつも歩いている道のはずなのに、突然道を外れて「どこやここ!」と驚いていたり。
忍者の真似をしていたと思ったら、泣き出すので聞いてみたら「お姫様ごっこしてたんや」と言われたり。

子どもの視界の移り変わりも、記憶の曖昧さも、感情の起伏の激しさも。

大抵が、ぼくの想像の範疇を簡単に飛び越えてくる。

そんなとき。

できることなら、子どもと一緒に立ち止まってあげたいと思うのだ。

急いでいたり、余裕がないと「ほら、早く来てよ」「なに訳わかんないこと言ってんの!?」と、大人の価値観から逸脱したことを責めてしまう。

たしかに、大人の価値観から子どもの行動を眺めれば、理にかなわないことがあまりにも多い。

だけど、子どもの価値観から子どもの行動を眺めてみると、その瞬間にそう身体が反応してしまう何かがきっとあるのだ。

それを上手に言葉にするのは、なかなか難しい。
それに、常に目的に向かってまっすぐ一本道である必要だってない。

ぼくは旅行などにでかけた時に、寄り道して食べ歩きしたりすることをほとんどしなかった。
それは目的地にお目当ての美味しいごはんがあるし、それを食べるためにお腹を空かせておかねばと思っていたから。
でも最近は、高速のサービスエリアなどの寄り道先で食べ歩きするのもいいもんだなと思うようになった。

それは、そうした出会いに意外な美味しさや、思いがけない面白さがあると思うようになったからだ。

子どもが、公園に向かう道すがら突然しゃがみ込んで石ころで遊び始めても。

それは、公園に行くという目的を忘れたわけじゃなくて、石ころと一期一会の出会いを果たしたということなのだろう。

「ねえ、公園に行くって言ったじゃん。石なんていいから、早く行こうよ」

なんて言うのは、世界の面白がり方を忘れた大人の、無粋なセリフなのかもしれない。

「この石ころの面白さがわからないなんて、お前さん、つまらねぇ大人になっちまったんだな」

子どもが、大人に反論することができたなら、そんな風に言われてしまうかもしれないな。


ぼくには、子どもの考えていることはわからない。

それをわかる必要があるとも、思っていない。
だけど、時々は一緒に立ち止まって、その面白い世界を教えてもらったほうがいいんだろうなと思う。


では、また明日。


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三木智有|家事シェア研究家
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