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Photo by
soeji
「行きたくない」と「休みたい」は違うな。
昨日、娘は幼稚園をお休みした。
そのおかげか、今朝はめちゃくちゃ元気いっぱいに猛ダッシュで園庭を駆け抜け、先生の元へと向かって行った。
いつも通りにお友達と戯れ、楽しそうにしている姿を見て「本当に休ませてよかったな」と思った。
こうして娘を観察する中で感じたことがある。
すごく細かいのだけど「行きたくない」と「休みたい」はまったく違うことだなと思ったのです。
ちょっと前に、娘は幼稚園(の、プレイスクール)に行きたくないというときがありました。
色々と理由はあったのだけど、そのときは行きたくない、で休みたいとは少し違っていた。今回は娘の話を聞いていると休みたいという感じだったので、なんの心配もなく休ませてあげられたのです。
この2つの違いは、理由の矛先がどちらを向いているか、なのかなと思ったのです。
これまた超細かいですが、原因ではなくて理由です。
「行きたくない」場合は、その理由が学校や幼稚園に向いている気がしました。学校が悪いとかってことではなく(原因ではなく)、とにかくそこへ行きたくない。つまり、学校との関係性の中に理由があり、そこをほぐしていかないと「行く」とはならない。
「休みたい」場合は、その理由が自分に向いている気がします。つまり学校や幼稚園との関係性の中には何も問題がなく、心身の理由(面倒、疲れた、どこか痛いなど)によるもので、自身が回復すれば「行く」となる。
子どもが明確に言葉を使い分けるわけではありませんが、行きたくない、休みたい、と言う言葉の中にこの様な違いを感じました。
子どもの様子から、この違いをじっくりと観察するだけでも接し方ってずいぶんと変わって来るのだろうなと思ったのです。
では、また明日。
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