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塗仏の宴 感想
4月の水祭りの長期Holidayに、また精神的を落ち着けるために読んでいた。
(精神的を落ち着けるために読む本じゃないよな。苦笑)
(ここから京極作品ネタバレ)
一番思ったのは、
中禅寺は誰が救うんだろう、ということ。
思考も仕事の仕方も残念ながら完全に下僕級なので、毎度中禅寺がいう「大丈夫だよ」に救われる気持ちがわかる。
救われるというか、判断を預けるというか。
言い切ってもらうことの安心できることよ。
毎度毎度、誰かが何かのモヤモヤを持ち込んで、
彼は抽象して提示して、人をスッキリさせて帰させた後、
モヤモヤの具体が澱のように積もらないのだろうか。
御筥様のあの部屋のように魍魎が巣食ったりしないのだろうか。
普通に働いていても、決断をするというはなかなか労力がかかるもので、ましては他人の人生に影響を与る判断は疲れるものだろう。人によってはあまり感じない人もいるらしいし、全員出ないにしろ。少なくとも中禅寺は誰よりも人を洞察できる人だから。、きっと。
邪魅の雫で、世界と対峙する覚悟もない癖に、と神崎宏美は赤木を心の中で詰っていたけど。そんな覚悟持ってる人なんでみたことない。
みんな、本当は否が応でも対峙してるんだけど、日常に埋没して、明日もまた同じ日が来ると思い込んで生きていないと辛いからな。その幻想を共有してるのが家族ってことかね。
中禅寺は、
「このくらいの覚悟がなくて、憑き物落としが務まるか!」というのだが。
千鶴子は癒してるのかなぁ。と思うと嫉妬するわ。
どうやったらなれるの?そんな女性に。
癒しから程遠い存在なので、絶対にたどり着けないけど。
癒しもできない、覚悟もない。永遠に下僕から抜け出せそうにない。
せめて使える下僕になるために修練しろということか。
寂しいな。