舞台『夏の砂の上』を観て。
極限まで削ぎ落とされたシンプルな舞台。
この街にかつて、原爆が落とされたということを感じさせる真っ黒な庭。瓦礫。
音楽はほぼ無く、ギクシャクした会話の『間』に蟬の鳴く声だけが響き渡る…
舞台を観て、思ったことの一つ。
『規則正しく 何度も何度も繰り返される 多くのもの』が、沢山出てくるな、と。
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日が登り、日が沈む。
夏が来て、夏が終わる。
何回目かの…亡くなってしまった幼い明雄の命日。
生きている人間の中に、嬉しいことがあっても、悲しいことがあっても、時間は規則正しく、乱れることなく、残酷なくらいに、坦々と過ぎていく。。。
ほんの僅かな音楽…繰り返す旋律。
そしてその旋律に重なる不協和音。
嫌になる程 何度も何度も繰り返し鳴く、蟬の鳴き声。
『ザザァ…ザザァ…』
夜になり、辺りが静かになると聞こえてくる、波の音。
夢の中。
持田に『どんどんどんどん どんどんどんどん』ローラーで押し寄せる鉄板。
優子の記憶の中。いつまで経っても終わることなく繰り返される トンネルのオレンジの光。
『ジリリリリン…ジリリリリン…』
まるで警戒音のように、激しく鳴り響く電話のベルの音。
「バーン…バーン…」
治の鉈(なた)のような大きな包丁の音。
まるでローラーの様に、規則正しく左手から押し出される肉。
それを機械の様に切っていく右手。
『ポツン…ポツン…ザーザー…ザーザー…』
雨の音。
まるで枯れることが無いように、治と優子が何度も何度も 代わり番こ に飲む、雨水。
どんなに悲しいことがあっても、生きている限り、お腹が減り、食事をし、排泄をする。そしてまたお腹が減る。。。
食べる為には、どんな苦しい状況でも、日々、仕事をしてお金を稼がなければならない。。。
原爆や大水害などで、築いてきたものが一瞬にして崩壊してしまっても、また人間は一つ一つ立て直していく。
何度も何度も繰り返す。
『人間は産まれ』
『人間は死ぬ』
『破壊と再生』
人間は永遠に繰り返していく。
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新しく出版された戯曲 『夏の砂の上』のあとがきに松田正隆さんは、
喪失した(見えないもの)があるとドラマチックになる。物語が分かりやすくなる。
それを恐れている。(ニュアンス)
とおっしゃっている。
『日々の現実の光景を見渡せば、分かりやすいものなど一つもない。すべてが見えるままに複雑なのだ。』
『見えたものでしかない演劇』をずっと目指している。
と。
何度再演を繰り返し、戯曲が書かれた時から上演されるまでに、どれだけの時間が経とうとも、ここに描かれているものは、(ドラマチックな過去を背負う人間の物語ではなく)
いつも(その時代の)『今を生きる人間の物語』なのでは無いのかな?と。
人間てどんな辛い事を抱えていても、思いがけない新しい出会いで恋に落ちたり、それによって思いもよらず(辛い毎日が)明るくなったりする。
またいつしか恋は愛に変わり、愛が終わることもある。
そうやって人間は、繰り返し、繰り返し、これからもどんな事があっても、生きていく。
シンプルに『夏の砂の上』という戯曲は、そういうことなのかもしれないな、と。