「公衆便所女」についてふたたび考える
これまでわたしのnoteを読んできてくださった方なら、お察しの方もいらっしゃるかもしれない。
「公衆便所女」だったわたし
わたしは、なにを隠そう、「公衆便所女」だった。
インパクトのあるそうしたキーワードを使うことで、自虐的なことをここに告白したいのではない。
この「公衆便所女」という、不快な響きであり下品きわまりない言葉を考察していくうえで、その前提として、その言葉を直接的に語る必要があると判断したからであって、個人的に好きか嫌いかと言えば、そういうふうな言い方をすることはわたしは大嫌いだ。
ただ、きょう、これから書こうとしていること(うまく着地できるかは、書き始めてみたいとわからないのだけど)を書くうえで、必要なキーワードであることをご理解いただきたい。
ちなみに、「『公衆便所女』だった」という過去形なことからもわかるように、いまはまったくそうでないと、断言できる。
愛を乞いまくっていたあのころ
当時は、いまでいう自己肯定感というものが、まったくもって感じられないくらいに低くて、愛を乞いまくっていた。
だから、そのときどきの相手が、自己肯定感の低い自分なんかと、ちょっとでも一緒に時間を過ごしてくれるのならば、その人に楽しんでもらえることをしたいと思ってしまうのだった(もともと人の顔色や反応から、ニーズをキャッチするのは得意だったし、サービス精神が超旺盛な性格なこともあり…)。
一緒にいる相手が楽しいと思うこと、やりたいと思うことなら、なんでも応えた(一番人気は、性交もしくは相手の嗜好に応じたプレイだった)。
非対称で、奴隷のような関係性に進んでなった末、孤立
だけど、対等な普通の人間関係を築ける人からすれば、実に非対称的な関係性で、わたしが進んで奴隷を引き受けているような関係にしか見えなかったようだ。
わたしにとっては、それが幼い頃からの、普通にゼロからスタートはできなかったわたしが生きのびていくうえでの精一杯なスタイルだったから、結果的に残っていく人間関係というものが、当時はどうしてなのかわからないけれど、そういうところに落ち着いていくのだから、それを受け入れるしかなかった、といったようなところだ。
だけど、いま思えば、わたしと対等な関係を結ぼうとしてくれていた人は、わたしが場所や仕事を変えてもつきまとう、そのいびつな関係性を、何度も首をかしげ、「あなたは進んでインドとかの国のカーストに自らなりたがっているようだ」「やめなよ」と警告してくれたりもしたやさしい友人たちもいた。
だけど、その警告も虚しく、彼ら彼女らからは、距離を置かれたり、わたしも、わたしが大事に思うその関係性を理解してくれないならばと意固地になって、孤立に陥っていくのだった。
それでやはり、わたしは最後には、「この公衆便所女」と罵って、ゴミくずのように捨てていくような男性とのつながりを、よりいっそう、皮肉なことにも、強くしてしまうのだった。
わたしの弱さは、おいしい餌 利害が一致
対等な関係性が基本な人からは見えない、そうではない、自分が支配することによる関係性をのぞもうとする人(全員男性だった)にしか見えない、わたしの弱さや虚しさは、彼らにとって、ぜっこうのおいしい餌だった。
自己肯定感が低くて、それを穴埋めしたい自分と、そういう人とでは、うまく利害が一致していた。
「結婚するから待っていてほしい」という言葉を信じて、ひたすら待ち続けた十数年
以前、「公衆便所女」にまつわる、こんな自分自身の経験を書いた(あまりにも生々しすぎるので、途中以降は有料設定にしてセーブしています)。
そう最後に罵った男性というのは、新聞記者時代に出会ったとある上司だ。
「いちばん上の子が独立したら結婚するから、待っていて」という言葉をそのまま信じてしまい、わたしは勤めていた新聞社を退職までして、彼の持ち家があるとある東北地方の隣町に引っ越して、まもなく迎えるその日を、くそ真面目に待っていたのだった。
結果的に、いま振り返れば、最後のその日を迎えるまでに、十数年の月日を無駄にしてしまったともいえる。
その子が独立しても、「二番目の子はまだ学校のお金がかかるから。私立に入っちゃったんだよ」、とか「親の介護をしなくちゃいけなくなって、いまそれどころじゃなくなった」、とか、毎回、わたしと一緒にいる大義名分がころころ変わっていった。
だけど、そのときのわたしは、彼もいろいろあって大変だな、と思って、趣味や自分磨きなどをして、時間をつぶしたりして、その彼の言葉を疑うことは一度もなかった。
表沙汰にもできる関係ではなかったから、ちょうど同世代のオープンな関係性のカップルが泣き喚いたりしてせがむようなことをしているときも、自分にはそれがむだだと思っていたし。
彼自身の「ダブル不倫」の恋愛相談も受けるように
彼は、わたし以外のところで、Facebookで再会した高校時代の同級生の女性と、その女性も2人の子持ちで夫もいて、医療関係のしっかりとした仕事をしていたけれど、意気投合した末に、ダブル不倫もしていた。
居場所がないわたしは、心の隙間を埋められればと彼の駐在記者としてあてがわれている一人暮らしの部屋に、来いよと言われて、よく訪問もしていた。だんだんその部屋に彼女の、たとえば、歯を白くする歯磨き粉とか、服とかが増えてきていて、彼女もそうやって東京からわたしがいない日に足繁く通っているんだな、と感じた。
わたしはそのうち、彼女についての相談も、彼から受けるようになった。たしかさきほど貼り付けた記事にも書いたようい思うけど、彼は彼女のメンヘラっぷりに振り回されて、ついに自殺までしそうに追い詰められているのだと、わたしもわたしで、いろんなことがもうぐちゃぐちゃでまいってしまって、当時入院していた閉鎖病棟に、彼がお見舞いに来て、そのことを打ち明けたりもしていた。
それで、彼が途中の道の駅でわたしにお土産に買ってきた、その地域の特産の葡萄ジュースは、ビンに入っていたから、刃物ということで回収されてしまったけれど、3種類の色の葡萄を、ひとつぶひとつぶちまちま食べながら、彼の死にたいばなしや、ダブル不倫の恋愛相談とかを、うんうん聞いていた。いま振り返れば、すごいお人好しだ。
それから彼は、「きょう、ぼくは青鬼になります」と彼女と別れる決意をわたしにして、その夜中、「ぼくは青鬼をまっとうしました」といって別れた報告を聞いたりしたのだった。とにかくとにかく、わたしに負けないくらい激しく、パワフルな彼でもあった。
対等ではない関係性だと、とたんに受動的にしか振舞えない自分に気づいていく
そんなふうに、もう、「上の子が独立したら、結婚する」という彼の約束から始まって、なにもかもが普通の人だったら発狂しそうなくらいぐちゃぐちゃな状況だったのに、わたしは、彼をそれでも信じていたからということもあって(いま振り返れば、最後のほうは執着心に切り替わっていたのかもしれない)、また、そういう辛抱強いというか、なにもかも、起きたことはあるがままに受け止めてしまうという、非常に受動みの強い性質であることも手伝って、カオスな状況でありながら、ありのままを受け入れ続けてきてしまったのである。
いまでもそういう受動みの強さは、ブラック企業にいいようにだまされてしまったり、あまりにもお人好しすぎると自分でも思う。
だけど、生まれてこのかた、生まれる環境だって選べないなかで、それを受け入れるしか生きる方法しか知らなかったような、いまはもうあのときではなくて、自分自身で選んでいけるというのに、そういう、ある意味、言葉の魔術師のような、調子のいい人だったり、自分を庇護してくれたり、知らない新しい世界に誘ってくれたりする人に出会ってしまうと、そのときだけは例外的に、ただただ受け入れるしかできない無力で、思考停止して、抑圧していて、ほんとうは心の奥底で激しく怒って、マグマのようなものがふつふつと体内で沸いているのに、それを押し殺して噛み潰しているしかなかったような、無力な幼少時代からの象徴的な心理状況に、なぜかなってしまうのだった。
次第に「対等な関係性」を体感として身につけていく
いまは、あの「公衆便所」と罵られ事件から、だいぶ対等な関係性を結べるようになってきていて、対等な間柄の人とは、そんなふうな感覚を覚えることはなく、自分が自分でいられる、自分の呼吸ができているというかんじがする。
対等な関係性を結んでいる人と一緒にいると、なによりも疲れない。合わせようとしていなくて、顔色も、もちろん見たり察したりはするけど、それを察したことで、自分がサービス精神250%くらいの気持ちで、不機嫌なその人の調子を、自分が上げてあげないといけないという、妙な責任感による気疲れなどは皆無だ。
いつも、さあ、きょうはどんなふうにおれを楽しませてくれるのか、自分はふんぞり返った大きな赤ん坊のような態度で、試されることもない。
そういうふうに、対等な関係性というものを、あれからひとつひとつ学んでいきながら、わたしは、あのときのいびつな関係性とのちがいを、体感として身につけていった。
なぜいま、「便所女」なのか
「自己肯定感が低いヤリマン」=「便所女」の名付け親 社会学者・宮台氏の事件でトラウマのように蘇った
ところで、なぜ、そんな、いまさら「公衆便所女」の話を蒸し返すのか、とお思いの方もいるかもしれない。
自分自身も、もう二度と思い出したくないなと思っていることだったのに。
それは、昨日、社会学者の宮台真司氏がなにものかに怪我を負わされたニュースを目にしたからである。
いかなる事情であれ、生命が脅かされる状況で、こんな話をもってくるのは失礼なことを承知なのだが、だけど、そこで、宮台氏のわたしのような自己肯定感が低い「ネガティブなヤリマン」=「便所女」と定義づけた言説のことを思い出してしまって、それがトラウマのように蘇ってきてしまったからだった。
たとえば2017年の記事でも、こんなことを言っている。
その宮台氏の記事から引用してみる。
はからずも思い出されてしまった(思い出さなきゃいいのだろうけど)、「公衆便所女」という言葉。
宮台氏から実害を受けたわけではないから、勝手に引き合いに出されて迷惑かもしれないけれど、個人的には、社会学者が自己肯定感の低い女性のことを「便所女」と定義づけた言説を語り、さらにいえば自分に自信が持てない女性を鼓舞するようなメディアで広めている社会的責任について、わたしは疑問を感じていた。
そのことを、言葉にしておきたいと思ったのが、今回の文章を書こうと思ったきっかけだった(やっときた、前置き長かった)。
「痛快な宮台節」として、女性を「便所」と言い放つことが許されていいのか
宮台氏のその言説は、その記者時代の上司も含めて、宮台節が痛快とか普段から言っているようなタイプの無自覚な加害を、正当化するような、勢いづけるような、無責任なものだ。
そもそも、「ネガティブなヤリマン」にいたるまでに、どういった背景があるのかもわからないのに、人間にたいして、「便所」と言い放つことは、侮辱だ。
「『便所女』にあながならないために」と「あなたのため」をうたいながら、だったら許しを得たとばかりに、社会学者として語っているずるさ。
そんなことを言ったら、当時もそのウートピの記事を目にして、わたしは思ったのだけど、実に何人もの男性に、公衆便所を貸してあげたかわからない。
だから、その文脈にしたがえば、わたしは正真正銘「便所女」なのだろう、そうなのだろう。
彼と一緒になるための時間潰しなら、なんでもよかった
ただわたしは、彼と一緒に暮らしたかった、彼との一緒の生活を夢見ていた、それを信じて、予定よりもかなり長引いてしまった十数年間の時間を、毎回ころころ変わるめちゃくちゃなことにも、彼を信じていたゆえにすべてのみこんで、受け入れてきた。
誰にもこの関係性の正しさが理解してもらえなくても、二人の間でわかっていれば、それでいいと思った。わたしは彼との関係を誰にも言わずに、貫き続けた。今振り返れば、こんな理不尽なのに、すごいことだと思うし、いまならぜったいできないし、ばかだったなと思う。
彼と一緒になることを待つための時間つぶしだったら、なにをしても変わらなかった。たびたび変わっていく理不尽な事情を受け入れるには、相手は相手で、簡単に性欲を解消してくれるような相手が必要だったのと同じように、手っ取り早く、その長い長い、さみしくてむなしい時間潰しに協力してくれる人だったら、わたしもそれが、手っ取り早くてありがたかった。
だけど、それが精神を、自分でも、気づいたら自殺未遂を図って、気づいたら閉鎖病棟で身体拘束されるくらいになっていたけれど、別に精神科医とかが、そんなプライベートのことまで事細かく聞き出してくれたり、ほんとうにその人の心の悩みまでは掘り下げられることは精神医療のリソース的にも限界があることには、ずっと失望しながらも、救ってよ、救ってよ、引き裂かれながらもと思っていた。
むなしくて、何度も何度も死にたくなって、なんでだろう、と思いながら、退院しても、だけどただただ繰り返すだけで、なんでだろう…その繰り返しだった。
わからなくて、手っ取り早く満たされるものに飛びつくという選択しかできなくて、ただそれだけだけど、それがいま振り返れば、そういうことをしてしまうことが、わたしをさらに死にたくさせてて、自己肯定感を下げてて、悪循環だったなあ、って、あれから時間がたって、やっと、いま、そこまで話せるようになった。
学習する頭はないわけではないのだろうけど、ばかになっちゃうときは、ほんとうにばかになってしまうのだ。
「便所女」になった女がすべて悪くて、無料で利用した男には責任が回ってこないしくみ
だから、いまだから、わたしを最後に「公衆便所女」と罵った彼のことについて、こう思っている。
ていうか、「公衆便所」として、それをわかって、あなたはわたしを利用してたってことじゃない、と。
だけど、宮台氏のようなロジックをする男性(女性もいるのか、自分の経験をもとにしかいえないからわからない)は、ごまんといて、彼もあの最後の日「『ここが便所だよ』と立て看板をかけて、ホイホイしてたんだろうが」と、だから便所をやってる女が悪くて、自分はまったく悪くない、だから俺は利用しただけだ、というふうに思って利用しているのだ。
「便所女」と言われた女性は、その言葉の強烈なイメージだけでも動揺するし、傷つくし、「お前がホイホイしてたんだろうが」と言われると、そうだよね、そんな自分が悪かったんだよね、と自分の汚さに、さらに自分を痛めつけようとすらする。それで、誰にも相談することができず、孤立に陥る。
そんなようなわたしも心理状態になるなかで、彼もやはり「おれの人生がめちゃくちゃになったのは、すべてお前のせいだ、どうやって責任とってくれるんだ」とも言い放った(だったらこっちの無駄になった貴重な二十代を含んだ十数年のほうが、もっと責任とってくれとしか思えなかったけど、自分が汚くて悪いと思っていたから言えなかった)。
宮台氏のようなロジックは、「便所」として利用している自分には、一切責任が回ってこない仕組みを、巧妙に作り出している。
あの記事や対談は、女性をエンパワーメントするためにおこなわれているけれど、「タダで使える『便所』があるから、使ってやったんだ」という、支配的な発想が前提にあって、だからといって、どんな背景があって「便所」と化してしまったかもわからない女性を、ただただ汚い象徴である便所扱いしていることにほかならず、そういうふうな思想を持つこと自体が、「普段からわたしは『便所』としてみて利用してるんですよ」と言っているのと同じことで、「便所」としてみなされる尊厳を侮辱していて、肯定できないとわたしは思うのです。
とはいえ、そういうこと言えば言うほど、それは相手を自分は便所扱いしていなかったのですかというところに跳ね返ってくるし、さっきも言ったように利害が一致したから関係性が成立したんだ、ということに振り返るときには、そう一般的にはなるのだと思います。
だから、それ以上はなにも言えないのですよね。
◇
ここまで思うようになるには、さきほど前半に貼り付けた文章からも、さらに時間がかかった。
わたしはほとんど、すでに書いた自分の文章というものを見返すこともなくて、書いた瞬間手放してしまっているのでアレだけど、だけど、あのときはきっと、彼への情とか入ってるいまよりもさらにいびつな書き方を、してしまったようにも思う。
そんなふうに人の感情なんて、日々、いや一瞬一瞬で変わるし、止めておくことなんてできない。
だから、なんか昨夜は宮台氏のことが出てきて、「便所」を思い出したということに起因しただけにほかならず、だけどまあ、こうやって書ける時間やシチュエーションが許す限りは、こうやってちょいちょい書いていこうかなあと思ったり。
さきほども申し上げたように、一瞬一瞬でわたしの考えることなんか変わってしまうので、あのときの話とちがうじゃん、って、わたしから直接話を聞かされた人もはじめ、あの文章を読んでくださった人も思うかもしれません。
でも、そのときそのとき思っている正直を、ここには書いているので、そのときのいちばんのリアルとしてとらえていただければ幸いです。