カエルの解剖をめぐるドラマと熱血先生
私が中学1年生の時の担任は、教員になりたての若い熱血な中西先生。中西先生が教員になって初めて受け持ったのが私たちの1年4組でした。理科が担当だった中西先生はいつもヨレヨレの白衣姿で小脇に出席簿を抱え、片方の手をポケットに突っ込んで、少しくせ毛気味の髪はぼさぼさ。背が高く、少し猫背で、のっしりのっしり廊下を歩く白衣姿の先生の姿が今も思い出されます。若いのにゆったりした所作でゆっくりしゃべる先生でした。
ある日の理科の授業の時のこと。その日はカエルの解剖をすることになっていました。当時はまだ1980年代前半。私が中学生時代を過ごした北九州市のベッドタウンにはまだ田んぼがたくさん残っており、ザリガニやメダカなんかもふんだんに捕れる田舎でしたから、男子たちは事前に田んぼで解剖のためのカエルを捕まえて持ってきていました。
さて、実験室で、いよいよ解剖の手順を中西先生が説明し始めたその時、あるクラスメートの女子が突然手を挙げて訴えました。
「生きたカエルを解剖するのは、かわいそうだと思います」
突然の発言に、クラス中が騒然となりました。
「カエルに比べれば人間は強い。でも、もしも人間よりも強い生き物が突然現れて、クラスの中の誰かが捕まえられて殺されてしまったら、みんなはどう思うでしょうか?」
彼女は、真剣な面持ちでこう訴えたのです。
そのクラスメートは、成績も良く、運動もでき、まじめで、よく男子を正論で遣り込めていました。そんな彼女は、クラスの中ではどちらかというと疎ましがられている存在でした。男子たちは、ここぞとばかり、彼女をからかってはやし立てたりします。中西先生はそんな男子や、騒然とするクラス全体に向かって大声で言いました。
「静かに!!」
いつもは穏やかな先生が、珍しく声を上げたので、クラスは静まり返りました。
「よか。それなら、みんなの意見を聞いてから解剖をするかどうか決めよう」
解剖は一旦中止され、急遽、学級会が開かれました。意見のある人は手を挙げて自分の意見を述べました。大部分の男子たちはやはりみんな解剖をしてみたくてうずうずしています。一方、女子の多くはカエルが可哀そうで、実はあまり気が進まない。みんなで意見を交換し合った後、最終的な意思決定は多数決にゆだねられました。その結果、解剖賛成派が多数で、やはり解剖を実行することになったのです。
中西先生は、解剖をする机の周りに私たち全員を集め、真剣な面持ちでクラス中を見渡して言いました。
「カエルに失礼のないように、しっかりと真剣に観察するように」
私を含め、女子の中にはカエルに同情して泣いている子もいました。クラス中がシンとして、その視線は、中西先生のメスを握る手に注がれました。エーテルを入れたガラス瓶の中で、最初はピョンピョンと元気良く跳ねていたカエルがだんだん大人しくなり、やがて意識を失うと、中西先生が慣れた手つきでカエルの手足をピンでとめました。メスを入れ、お腹を開くと、色鮮やかな臓器が現れ、先生が一つ一つ説明をしてくれました。みんな固唾を飲んで見守っていました。今でも忘れられない光景です。記憶がさだかではないのですが、解剖した後のカエルを、みんなで校庭の木の下かどこかに埋めたように記憶しています。
40年経った今でも、中学1年生の時の幼馴染が数人で集まると、この時の話になります。
「あの時は泣いたよね~」
「中西先生、熱かったよね~!!」
私が感動したのは、先生が、あのクラスメートが申し立てをした時点で、彼女の気持ちや言い分をちゃんと受け止め、うやむやにせず、その意見をクラス全体にはかったうえで、多数決で解剖することを決めたことです。無理に押し切ったり、ごまかしたりせず、中学一年生の私たちの意見をちゃんと認め、リスペクトする姿勢は、当時の大人としてはとても珍しかったのです。そんな大人に出会えたことは、当時まだ子供だった私たちにとって、とても幸運なことだったと思います。
中学を卒業後、中西先生にお会いすることはないままですが、40年経った今も、全力で生徒とカエルの命に向き合おうとする先生のまっすぐで誠実な態度は、あの時の理科室での短いドラマと共に、今でも私の記憶に印象深く残っています。