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谷川俊太郎さん逝去に関しまして。【悼む心の在り様】に問い掛ける。

 昨日、私は『献花』というタイトル記事において、数日前に亡くなられた詩人・谷川俊太郎さんに対する思い、感謝の念と共にご冥福をお祈り申し上げました。
 日本で知らぬ人はおられまい、というほどに偉大な詩人さんの逝去については、他の方たちもXさんやこちら、noteさんでも哀悼の意を表する多くの発信をしておられます。

 只、故人を偲ぶに際しましても、諸権利を鑑みて「やって良いこと」と「やってはいけないこと」はあると思います。

 例えば、ご自身が所持しておられる谷川さんの詩集の内容。

 その頁画像をSNSに上げてお悔やみを述べたい、と考えられるのであれば、当然のことながら出版社さんや著作権をお持ちの方たちに許諾を得る必要があります。

 私は出版社さんとお付き合いさせて頂いた経験もありますし、そうでなくとも、購入した書籍の内容をどこにも断りなく画像として上げることは著作権法などに抵触するのではないか。一般常識・良識に照らし合わせれば、それは誰もが懸念するところかと存じます。

 しかし今現在、Xさんにおいて、恐らくは無許可でそれらの行為を堂々としておられる方がおられて唖然としているのが現状です。
 
 ある方は『感謝』という谷川さんの詩が掲載されている朝日新聞さんの紙面を撮影して画像に上げておられました。

 多くの方たちがそのポストに共鳴される。悼む心の輪が広がる。

 それはとても素敵なことです。

 ですが守らなくてはならないルールは、やはりあるのではないでしょうか。

 私が同じくそうした行為をしようとするのなら、まずは朝日新聞さんに問い合わせをしてから、と考えるでしょう。

 世知辛い現代社会においては、そうした手続きや段階を踏まえることも必要です。
 そうした思慮、配慮は、ひいては谷川俊太郎さんの詩を悪用しようとする人たちから大切な詩を守ることにも繋がります。

 私は先だっての記事で申し上げましたように、近くXさんを退会します。

 その前に、最後のスペースで『クレーの絵本』に掲載されている谷川さんの詩を朗読することの許可の問い合わせを、かなり難解な手続きを踏まえて致しました。

 結果としまして、谷川さんが亡くなられてから、次の谷川さん作品の著作権をどなたが持つことになるか。それが決まるまで長い時間がかかるであろうし、決まった後に朗読許可が得られるとは限らない。

 そうしたご返答を頂きましたので、スペースでの朗読は諦めた次第です。
 
 不思議に思いましたのは、私自らが購入した『クレーの絵本』の絵本の表紙が入った画像を上げることにも難色を示された点です。

 内容を晒すことには問題があるでしょう。

 しかし、購入した絵本が画像に映っている。
 それさえも問題視されるのか、と。

 それにつきまして本日、講談社の方とお話をしました。
 
 とても丁寧に私の語る言葉に耳を傾けてくださる方で、私の感じた疑問、困惑は尤もなものである、とも仰ってくださいました。

 まず、Xさんでは、かなりグレーなことをしておいでの方が多い。

 新聞の紙面を撮影した画像を上げた方に悪気はない。
 ただ、悲しんでおられる。

 そこは私も講談社の方も同じ見解でした。
 但し、そこには手続きも肝要である。
 そこも同じ意見でした。

 所持する本の内容頁を画像に上げる。
 それも危うい行為です。

 手放しに嘆き悲しみたい時は、人であれば誰しもあります。

 しかしながら、本当に谷川俊太郎さんと、その詩に敬意を払われるのであれば、繁雑と思われる前段階、準備。

 それらもしなくてはならないのです。

 私も正直なところ、実に面倒臭いとは思いますが、申し上げましたように、谷川さんの詩を守る為にもそれは必要なことなのです。

 世には知名度の高い人の作品を利用して儲けようという、敬意の欠片も持たない、心無い方もおられますので。

 そして、購入した絵本の表紙が映る画像を上げるにおいては、何ら問題はないとも言われました。
 そこは対応した人たちの認識の誤りである、九藤さんには申し訳ないことをしました、と謝ってくださいました。

 責任ある立場の方は、ご本人の非でなくても謝罪しなければならない時がある。

 それが出来ない人も多いご時世ですので、私に謝ってくださった方はとても誠実な方である、と感銘を受けました。そのような人がいてくださるという事実に、少し安心もしました。

 noteさんでも谷川俊太郎さんを悼む気持ちを声高に上げておられる方は、たくさんおられます。

 私はそうした方たちに共感する一方で、ご自身の記事の注目度を上げたいが為だけに記事を書かれる方が、もし万一おいででしたら、それは悲しいことだとも感じます。

 人が亡くなる。

 どんな人にとっても、それは人生最後の大仕事。
 私はそのように捉えています。

 そのことを尊重してくださいますよう、どうぞお願い申し上げます。

 講談社の方からは私の声により、新たな気づきを得られた。
 こうした声があったこと、諸問題、それらについて真剣に検討したい。

 そのようにも仰って頂きました。
 私のような世間に全く知られていない人間に、そのような言葉をくださる。
 
 非常に有り難いことです。

 SNSにおいてグレーな行為が蔓延しており、それに対応の手が追いついていない現実などの話もしました。
 AI学習や無断転載など。

 その話はまた、別の記事で触れる積りです。

 冗長となりましたが、この記事はこのあたりで締めさせて頂きたいと思います。

 この文章を貴重なお時間を割いてお読みくださった方に、厚く御礼申し上げます。






 



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