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がんばらないってどうやるの?③~がんばることで、現実から目をそらす日々~

こんにちは。がんばりすぎる女、ともです。

ともこさん

がんばることで、人生くぐり抜けてきた女が、がんばることだけじゃ、もうどうにもならないことに遭遇し、さぁ、肩の力を抜いていこう。がんばりすぎるのはもうやめよう!と思ったのですが…

そもそも、がんばらないってどうやるのかわからん!!ということに気づき、今、肩の力ってどうやって抜くんやろうと、いろいろと試行錯誤しております。

その試行錯誤の1つとして、過去を振り返りながら、どうしてこんなに何でもムリしてがんばるようになったのか、洗い出し中です。

前回までの記事はこちら。

思ったようにいかない友だち作り

地域の進学校に進学し、無事高校生となった私。中学校の時の教訓を胸に、明るい自分を演出し、周りに溶け込もうと努力します。クラスの中心グループに属すことができ、途中までは、うまくやっていた・・・つもりでした。

でもやはり、私を襲う孤独感虚無感。なんで盛り上がっているのかが、全くわからず、とりあえずそれっぽく振る舞う日々。それが顕著だったのが、高校1年生から、2年生の途中くらいまでかな・・・

周りになじみたかった私は、いわゆるクラスの中心にいるようなグループに属せば、安心安全だと思い込んでいました。ここを離れるわけにはいかない。周りの言っていることやテンションがわからなくても、必死でしがみつこうとしていました。でも、どんどん大きくなる違和感。グループ内の1人の子に敵視されるようになってしまった時、その違和感は爆発します。

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がんばったけど無理だった・・・ここにいるのはもうしんどい・・・と、当時傷心状態だった私は、派手系グループからは距離を置き、いわゆる『地味系』のグループの子たちと絡み始めるようになりました。

気の合う友だちに出逢えた奇跡と違和感の狭間で・・・

傷心の私を受け入れてくれたのは、3~4人の小さなグループでした。彼女たちと付き合うようになり、私の世界は一変。こんな穏やかに付き合える人たちがいるんだ!と感動します。

そこは、仲間はずれなどは無縁の世界でした。人を貶めるようなギャグなんて言わなくていい世界でした。お祭り騒ぎなんてしなくても、穏やかに時間が進む。ゆったりまったり、彼女たちと一緒に過ごせることで、私の世界はかなり平和になりました。

ただ、それは教室の中でだけ。教室の中はかなり過ごしやすくなったし、心へのダメージもかなり減りました。

それでも、当時所属していた部活は相変わらず未知のノリでした。全くついていけない。会えば会うほど合わない。マネージャーだったので、単独行動が多かったのも幸いし、なじむ努力はそれなりにしつつ、すこーしずつ選手との関わりは必要最低限まで減らしていくようにして対応しました。


学校の外の世界に飛び出して得た人生を変える出逢い

いろいろなモヤモヤと戦い続けていた高校時代。でも、明らかに中学生の頃より、生き生きと過ごすことができるようになっていました。大きかったのは、同じくらいのレベルの生徒が集まっていたことで、幼稚な事をする人が限りなく少なかったことと、高校の外に飛び出せたこと。そして、夢中になれるものに出逢えたことでした。


15歳の時、人生を変えたと言っても過言ではない出逢いが訪れます。それは、人ではなく言語。耳が聞こえない方たちの言語である『手話』に出逢います。

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手話自体には、小3の時にふれた手話コーラスがきっかけで、ずっと興味を持っていました。でも、本を見たりする程度。高校生になって、地域の講座に通えることを知り、そこに通い始めます。

講座も楽しかったのですが、いわゆる学校のお勉強みたいな感じ。生きたコミュニケーションではありませんでした。でもそこで、地域に手話サークルというものがあることを知ります。

サークルの人たちのお話を聞いて、おもしろそう!とワクワクした私は、木曜の夜に活動していたその手話サークルに、思い切って飛び込みました。そこで私は大きな衝撃を受けます。


声のない世界で輝く、豊かな表現力に魅せられる

その手話サークルは、ろう者(耳の聞こえない方)が中心となって作る、『声なし』の手話サークルでした。サークルの間、ろう者も聴者も、声を出して話すことは禁止。手話と筆談のみを使って会話をする、というルールがありました。

通常、手話サークルというのは、ボランティア活動を目的に立ち上げられていることが多く、聴者が仕切るグループがほとんどです。なので、普通に声で会話をするところが多いし、手話サークルなのに、ろう者そっちのけで、聴者がおしゃべりで盛り上がるという光景も珍しくありません。

でも、私が参加したサークルは、正反対でした。ぱっと見、初心者には、誰がろう者で誰が聴者なのか、さっぱりわかりません。身振り手振りと表情でくり広げられるコミュニケーションは、見ているだけで圧倒されます。

何といっても、表情の豊かさ。ポーカーフェイスと言われていた私にとっては、表情筋の付き方がちがうんじゃない?と疑いたくなるくらい、表情の豊かな方がたくさんいました。

一生懸命、話しかけてくれるのに、何を話しているのかさっぱりわかりません。魅了されると同時に、ものすごい疎外感を感じます。自分だけついていけない寂しさ。こんなにみんな楽しそうなのに、自分だけ入っていけない・・・

ここに加われるようになりたい!手話でお話できるようになりたい!

そこから、恐ろしい勢いで手話にのめり込み、たった2ヶ月ほどで、最低限のコミュニケーションがとれるようになりました。周囲の人も驚異的な習得スピードに驚いたほど。

手話は、私の高校生活の『すべて』とは言わなくても、大半を占めていました。手話にふれている時は、ただただ、幸せで、キラキラした時間を過ごすことができていました。

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手話にのめり込んだ原因

当時はわかりませんでしたが、今思えば、のめり込んだのにはいくつかの原因があったと思います。

それは

●できない言語を使えるようになり、新しく出会う人とコミュニケーションがとれるようになることで、誰かと『繋がれた』実感を持てたこと

何かに一心不乱にのめり込むことで、気にしたくない現実から目を反らそうとしていた

●サークルを運営したり、サークルに参加していたのは、大半が大人だったので、同世代より価値観が合いやすかったり、尊敬できたりしたので、あの空間にいるのが心地よかった


というあたりが理由だと思います。中学時代は夢中になる対象がKinKi Kidsでしたが、高校時代はそれが手話になっただけ。がんばればがんばるほど、手話は身につく。どんどんいろんな人と話せるようになる。周りの大人がめちゃくちゃ褒めてくれる。ますますのめり込む。このループです。

何かにのめり込めた経験は、私の人生の中でとても貴重です。とてもいい思い出です。ただ、その異常なのめり方で、本当に向き合うべき事から目をそらしていたんだな、ということが、今ならわかります。

その時その時、のめり込む対象が変わるだけで、私は人生を通して、自分と、また、自分の本音と向き合うことを避けてきました。

今、たぶん初めてここまで深く向き合おうとしています。自分と、自分の本音と向き合わないと、いつまでたっても進まない犬かきで大海原を渡ろうとするくらいもがいてしまうんだな・・・と実感したからです。

引き続き、過去の自分とその時の本音に向き合い続けていこうと思います。

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とも プロフィール

新潟在住関西人。双子含む男の子3人の母。
塾講師、企業受付を経験した後、大手英会話学校で大人向けの英会話講師として、デビュー。延べ10000人に指導。講師育成サポートにも携わる。


長男出産後、親子英語講師として開業。
主宰の親子英語サークルがキャンセル待ちも発生する人気教室になる。


双子出産後に、講師向けコンサルタントとして活動開始。
講師力UPや講座構成のお手伝いをするうちに、起業コンサルティングや商品設計、広報コンサルのようなこともするようになる。
必要があればスピリチュアルリーディング能力も使い、見えない世界からのメッセージも伝える。


2019年3月、新潟県に移住。6月には親子英語レッスンを開始し、同年12月までに延べ250組の親子を相手にレッスンを行う。


現在は、英語講師は引退し、講師・起業家・法人の経営コンサルティング(ときどきリーディング)をメインに活動中。

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とも
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