一見、幸せに見える家庭も 「機能不全家族」かもしれない・・・ 愛されて育った私も 実は「機能不全家族」出身だった話
こんにちは。がんばりすぎる女、ともです。
この連載は、がんばることで、人生くぐり抜けてきた女が、がんばることだけじゃ、もうどうにもならないことに遭遇し、さぁ、肩の力を抜いていこう。がんばりすぎるのはもうやめよう!と思ったのですが…
そもそも、がんばらないってどうやるのかわからん!!ということに気づき、今、肩の力ってどうやって抜くんやろうと、いろいろと試行錯誤しております。
その試行錯誤の1つとして、過去を振り返りながら、どうしてこんなに何でもムリしてがんばるようになったのか、洗い出していました。
前回の記事はこちら。
最初から読む方はこちら。
私のような、がんばりすぎる人格が形成されるには、ほぼ100%、その人の生まれや育ちが関係しているはずです。実際、私もそうなんですが、実はつい最近まで、「私は全く・・・とは言わないけど、ほとんど問題のない家庭で育った!」と思い込んでいました。
本当に心から信じていたので、「機能不全家族」なんて言葉を聞いても、「私には関係ない話ー♪」なーんて、思っていたんです。
なぜかって?
だって、両親には「愛されていた」から。
たくさんの愛情をもらったから。
いわゆる、典型的な機能不全家族には見えなかったんですよね。
虐待もなかったし、やりたいことには挑戦させてもらってたし、留学もさせてもらったし・・・
そんな私も、実は「機能不全家族」出身だったんだ!と気づくまでの話と、気づいてからの葛藤を、つづってみたいと思います。
「機能不全家族」とは?
そもそも、「機能不全家族」とは、いったい何なのでしょうか?
Wikipediaではこう書かれています。
機能不全家族(きのうふぜんかぞく、英: Dysfunctional Family)とは、家庭内に対立や不法行為、身体的虐待、性的虐待、心理的虐待、ネグレクト等が恒常的に存在する家庭を指す。機能不全家庭(きのうふぜんかてい)とも称され、その状態を家庭崩壊(かていほうかい)、もしくは家族崩壊(かぞくほうかい)と言われている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
うん、これだけ見ると、私が育った家庭は、機能不全家族には含まれません。愛されていましたし、虐待なんて!と思っていましたし。
でも、機能不全家族ってこれだけじゃないんですよね。他のサイトもチェックしてみました。こちらのサイトには、機能不全家族と並んで、機能している家族の特徴ものっていましたので、一緒に載せてみます。
【機能不全家族】
・非合理的なルールが強く維持されている
・子どもを守るという親の役割が放棄され、子どもが親のケアをすることがある
・家族もすでに分かっているけれど、公にできない秘密がある(性的虐待など)
・家族のなかに他人が入り込むことに抵抗がある
・暗い雰囲気でほとんど笑いがない
・家族同士のプライバシーがない(個人間の境界があいまい)
・家族から離れることが許されていない
・家族間の嫌なことや葛藤などは否定されて無視される
・変化に抵抗する
・家族は分断され、統一性がない
【機能している家族】
・親子それぞれの基本的なルールはあるが、柔軟に対応しながら家族を運営している
・親としての役割が機能し、子どもは親の役割を受け入れる。役割分担が明確で迷いがない
・家族に他人が入ることを許容する
・ユーモアのセンスが共有され、親にも子にも笑いがみられる
・家族それぞれのプライバシーが尊重され、自己という感覚を発達させている
・家族それぞれが家族であるとの所属感覚を持つが、家族から去ることも自由である
・家族間の葛藤はあって当然とされていて、そのたびに解決が試みられる
・常に変化し続ける
・家族に一体感がある
参考:ジャネット・G・ウォイティッツ/著『アダルト・チルドレン』(金剛出版,1997) https://www.amazon.co.jp/dp/4772405615
引用サイト: https://h-navi.jp/column/article/35026435
おおおおおお。
こちらは、とてもわかりやすい!
我が家に当てはまっていた部分を、太字にしてみました。
わかります?機能不全家族の方にも、機能している方にも、複数当てはまっているんですよね~!だからこそ、気づきにくかったんだと思います。
ちなみに我が家の構成は
● 父(教員)
● 母(専業主婦)
● 私(長女)
● 妹(4学年差、次女)
の4人家族でした。
それでは、機能不全家族の条件で当てはまっていたものを、この記事では2つ、振り返ってみます。
母の信じているものは、みんな信じなければならない
機能不全家族の条件、1つ目の
・非合理的なルールが強く維持されている
私の母に、この傾向が強くありました。
私が生まれる前から、私の両親は新興宗教を信仰しており、私が10歳くらいの頃にそこを脱退。別の宗教を信仰するようになります。
母が信じているものを、他の家族も全員信じるように言っており、信じていないと非難の目を向けてきました。これ、悪気がないから、余計にたちが悪い・・・本気で、こっちが悪いと思っていたように思います。
最初の宗教は、私自身、生まれた頃から入っていたため、素直に信仰していました。が、そこを脱退してからは、私自身は完全無宗教。心から宗教など信じられない状態にありました。そんな私にも、母は新たな宗教の信仰を求めてきて、母に嫌われないために、必死で信仰している振りをしたものです。まぁ、バレていたので、「どうせ信じてないんやろ~?」なんて言われたりもしましたが・・・
本心をいうと、嫌われる!がっかりされる!という考え方が身についたのは、これが大きく関係していると思っています。
父も、表面上だけ合わせる感じで、母の要望にはある程度応えていましたが、心から信じていないのは丸わかりでした。本人がそれでいいなら・・・という感じでした。
親子逆転パターン
条件2つ目の
・子どもを守るという親の役割が放棄され、子どもが親のケアをすることがある
こちらも、部分的ではありますが我が家に当てはまっていました。
母は、よく言えば「無邪気で天然」、悪く言えば「子どもっぽい、頼りない」人でした。(母は、約15年前に他界しています。)親として、私たち姉妹を愛してくれてはいましたし、彼女なりに守ろうとしてくれていたとは思いますが、私にとっての母は、頼る存在というよりは、守る存在だったんです。
体が弱く、天然で抜けまくっていた母を、子どもの頃からめちゃくちゃしっかりしていた私は、様々な場面でフォローしていました。
それがよくわかる話が、「我が家の金庫番」です。
当時、家には頑丈な金庫がありました。その金庫の暗証番号は、父しか知らず、他は誰も開け方を知らなかったのですが、ある日、小学校低学年だった私に、父はこう言いました。
「お母さんは、正直あんまり頼りにならんから、もし、俺に何かあったら、とも、お前がこの金庫を開けるんやで。」
はい。小学校低学年にして、親を差し置いて、重大な役割を与えられたのです・・・!!おっそろしい・・・!!笑
当時は、「頼りにされているんだな。」と嬉しく思い、「がんばらなきゃ!」と思ったことを覚えています。でもね、考えてみてくださいよ。
いくらしっかりしてるとはいえ、私の当時の年齢、一桁ですよ?
当時30代の母を押しのけて、金庫管理まかされちゃったら、あぁ、母には頼っちゃいけないんだ!って思ってしまうのは自然の流れですよね?
もちろん、母より私を選んだ父の気持ちもわかります。本当に母は抜けていましたから・・・。でも、選ばないでほしかった。責任感が人一倍強い私は、こういった、一見小さく見える1つ1つのことが積み重なって、素直に親に甘えられなくなっていったんです・・・
これには、両親ともに末っ子だった、ということも、大きく関わっているのではないか、と推測しています。お兄ちゃん、お姉ちゃんは、きっと末っ子にとっては頼る存在なんですよね。だから、2人とも、私に頼ることには躊躇しなかったのかもしれません。
お姉ちゃんだから。
しっかりしているから。
頼れるから。
こういった言葉が、上の子を雁字がらめにしていくんですよね・・・
私の周りには、私と同じく、長男・長女のお友達や知り合いが多いのですが、
「上の子には絶対、お兄ちゃんだから、とか、お姉ちゃんだから、とは言わないようにしている!」
という人が、めちゃくちゃ多いんです。
「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」という役割を、当たり前のように押しつけられて育ってきた人が、とても多いんだと思います。
私には3人の息子がいますが、もちろん私も
「お兄ちゃんだから我慢しなさい。」
「お兄ちゃんなんだから譲ってあげなさい。」
なんて言葉は、ぜっっっっっったいに言わないようにしています。
「身体が大きいんだから、手加減してあげて。」
と言うことはありますが・・・
なるべく3人を対等に扱う・・・という言葉はあまり好きではありませんが、1人の人間として尊重するように、意識しているつもりです。
愛があれば大丈夫!なわけではない
こんな風に、親自身に悪気がなくても、親としての『知識』『経験』『スキル』が足りなくて、子どもを苦しめてしまう。
そんなタイプの「機能不全家族」は、実は現代の日本に、結構多いのではないかと推測しています。
このタイプは本当に厄介なんですよね。一見、平凡で幸せな家庭に見えるから、なかなか気づけないことが多い。気づけないけど、なぜか苦しくて、なんで?と悩んでしまうんです。
実際、私自身も、
「親は私のことを、めちゃくちゃ愛してくれていたんだから、親のことは悪く言ってはいけない!」
とずっと思い込んでいました。
そして、本当はあの時こうしてほしかったとか、これが本当はイヤだった、といった自分の気持ちを押し殺してきたんです。
愛してくれていたんだから、そんな『ワガママ』は言っちゃいけないんだ。
そんなこと思うなんて、親不孝だ!と、自分の本心を責めて抑えつけてきたんですよね。
でもね、親子でも別の人間。
親に対して、不満を抱いたっていい。
怒ったっていい。
だって、あなたが抱いた感情を、誰でもないあなた自身が認めなければ、誰が認めてくれるの?
どうして気持ちを閉じ込めなきゃいけないの?
私は両親に、
「この宗教、信じられなかったら信じなくてもいいんだよ。それでも私は、あなたのことが大好きだよ。」
って言ってほしかった。
「あなたのことは、親の私たちが守るから、何も心配しなくていいんだよ。」
って言ってほしかった。
こんな気持ちを抱くことって、そんなに責められることでしょうか?
この気持ち、押し殺さなければいけないものでしょうか?
私は、押し殺す必要はないと思えるようになりました。
でも、親にぶつけるつもりもありません。
こうやって、過去を振り返っているのは、親を責めるためではないんです。
私が過去に置き去りにしてきた、私自身の本当の気持ちを発見して、寄り添い、受け止めるためなんです。
そうやって、1つ1つの感情に寄り添って、受け止めていくことで、今の自分の生きづらさを作ってきたしこりやわだかまりを、1つずつ解消しています。
押し殺した感情を、もう一度見てみよう
もし、あなたが、感情を押し殺してきた経験があるなら、一度、振り返って、どんな感情を押し殺したのか、フタを開けてみてください。そして、その感情を否定しないで、眺めたり、もう一回感じてみたり、噛みしめてみたり、認めてみたりしてみてください。
感情を押し殺すことは、本当にあなたの身体にとって、よくないことばかりです。詳しくはこちらの記事にまとめてあるので、興味のある方は、読んでくださいね。
私もまだまだ、気づいてー!という感情が過去にたくさん残っているので、1つ1つに寄り添っている最中です。これだけでも、生きづらさが大きく改善しているので、もしよかったら試してみてくださいね^^
お読み頂きありがとうございました。
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とも プロフィール
新潟在住関西人。双子含む男の子3人の母。
塾講師、企業受付を経験した後、大手英会話学校で大人向けの英会話講師として、デビュー。延べ10000人に指導。講師育成サポートにも携わる。
長男出産後、親子英語講師として開業。
主宰の親子英語サークルがキャンセル待ちも発生する人気教室になる。
双子出産後に、講師向けコンサルタントとして活動開始。
講師力UPや講座構成のお手伝いをするうちに、起業コンサルティングや商品設計、広報コンサルのようなこともするようになる。
2019年3月、新潟県に移住。6月には親子英語レッスンを開始し、同年12月までに延べ250組の親子を相手にレッスンを行う。
現在は、英語講師は月2回の寺子屋Englishのみ。
自分らしく生きるための講座作りをサポートする『生きる力育成プロジェクト』と、怒活メソッドを取り入れた、自分と向き合い、生きづらさを取り除いていくための『自分コンサル』を提供中。
必要があればスピリチュアルリーディング能力も使い、見えない世界からのメッセージも伝える。
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