美しいカレー①
美しいカレー ときいて思い出すのはdancyuのコピーであったけれど、
今では、この時間を思い出す。
美しいカレー、魅惑的な言葉だ。
高野山でキノコ狩り合宿中、カレーの学校のメンバーで食事をしながら話していた時のことだ。
校長水野さんがひとこと
「美しいカレーを写真に納めたいんだよ
食べたらなくなってしまうから」
新しいカレーの本を製作中らしく、そのカレーの写真の収め方について、話されていた時に出た言葉だ。
ちなみに、この時、一緒にその新刊を制作されている小林さんは、何度も美しいカレーの写真の収め方について食い下がる水野さんに、
あなたの美しさについてはどうでもいいんだよ。
といっていて、このお二人の問答を聞いていて実に面白かった。
小林さんは、辮髪姿。頭をほとんど剃り上げてほんのわずかに残した髪を三つ編みにする。
中国大陸の東北にいた満州族が清朝を統治時代に、中国全土を我が物にする。といって、国民全員に、辮髪令を出し、強制した髪型。それを小林さんは実践していた。
不思議な人だった。辮髪と聞いて頭にすぐ浮かぶ人は少ないと思うが、一言でわかりやすくいうなら、ラーメンマンです。笑
自分で辮髪を実践して、なぜ満州族が国民に強制したのか、気づきを得たいとか、、
(ニュアンスが違っていたらごめんなさい)
それ、それからどうするの?と水野さん。
書きます。
どこに?
NOTEに。
の~と~? と水野さん。
水野さんは、坊主にされている。
そして小林さんは辮髪。
このお二人のこの時の問答が面白すぎてやっぱりのこしておきたくなってしまった。
二人とも知性とユーモアの人である。
その知性から溢れ出た行動は、凡人側から見ると妙で愉快で、、、、、
その後、私のラジオはいつ始まるのかという話に飛び火し、なぜもじもじと始まらないのかと聞かれて、
その場で素直に『単純に勇気がないんですよ。』
といったら、なぜか小林さんにそれわかるなぁ!と激しく同意されたので、ついその場で握手してしまった。笑
話を美しいカレーにもどします。
奈良のtoi印食店のチェティナードチキンカレーを水野さんが食べた時に
綺麗だなと思い、感想を述べたときにもう少し色が、、という返答がシェフから返ってきたという話からだ。
水野さんは美しいカレーを写真という技法で保存したい。そのために、お皿ではなくバットにカレーを入れてグレービーをしっかりと撮影したいそう。
私はそれまでグレービーの美しさをあまり気にした時がなかった。
グレービーが、、うつくしい、、、?
盛り付けや、お皿の全体の美しさじゃない。
グレービーが?
と思い、なぜか心に引っかかったままそれを壱岐島に持ち帰った。
そして、家でカレーのグレービーの写真だけを眺め始めた。
その視点でカレーをみはじめると、なるほど、、、と深く頷いてしまった。
グレービーが美しいカレーはまごうことなく、めちゃ美味しそうである。
色が綺麗だ。
急に、兎にも角にも、気になってしまって、自分が作ってきたカレーを執念深く見直してみた。
幸運なことに前職のチリトリ自由食堂のカレーの写真がインスタグラムのアカウントに残っている、
うんんん、
後半は合格点を上げたいが、前半の2019-2020までは
うんんんんm
精一杯作ってきたのは間違いないので昔の自分を責めたりはしないが、やっぱり後半にかけて
その見た目も磨かれてきている。
熟練のカレーの作り手のみなさんには見た目でわかっちゃうってことか、、おそろしや~(独り言)
そういえば、アナン邸でバラッツさんにも、私のカレーを食べてもらう時、
カレーを見た時に、『やぁ、これは美味しいカレーだ』とポロリと言われたことがあった。
見ただけで何かわかるんだろうか?とちょっと不思議に思っていたが、見ればわかる。
このことである。
旅から帰って、水野さんの自費出版イートミー出版のフセインシェフのインド料理プログラム
の写真をみて、さらに深く頷いてしまった。
素晴らしく美しく、美味しいとわかってしまう、わからせてしまう調理写真の数々。
カレーは深い。 まさか、まだまだまだ。だ。
その深淵さにちょっとため息(鼻)がでた。
続く。。