脳梗塞の入院生活①
この記事では入院時のエピソードについて書いていきます。
・病状
・リハビリ生活
これらを中心に書いていきたいと思います。
長くなるので分割して投稿していきます。
▼救急搬送された日のエピソードはこちら
HCU(高度治療室)から急性期病棟へ
主治医から『tommyさんは軽い脳梗塞です。左頸動脈についていたプラーク(簡単に言うと脂質の塊)が剥がれて脳の血管が詰まったせいで右脳にダメージがあります』と告げられる。
併せて『搬送後に点滴で投薬治療をしました。安定してきたので急性期病棟へ移りましょう』と言われる。
先生軽いって言ってるし、安定してきたとも言ってる。この左半身の麻痺とかしんどいのも一時的なものですぐ治るのか!もう病棟移動だしすぐ来週くらいには退院できるのかなー!わーい!と超ポジティブに考える。
しかしここから約2ヶ月入院することになるのである。
新型コロナもそうだが、医療関係者の軽いと一般人の軽いの感覚は全く異なるのだ。
点滴も刺さったまま+自力で動くことが出来ないので急性期病棟まで運んでもらう。
リハビリ開始
急性期病棟へ移った次の日だったかな?
担当の作業療法士さん、理学療法士さん、言語聴覚士さんが来られる。
もうリハビリはじめますとのこと。
ええーまだ動かないのにどうするの?と思ったけどいやリハビリもうやりますからと言ってる。
早いうちに動かさないと廃用症候群になると言われた。
え…寝たきりは嫌だ!
絶対日常生活取り戻したいです!
気合いでやります!
と背水の陣みたいな気持ちでリハビリ開始。
・作業療法士さんメニュー
洗濯バサミをまずつまめるようになること
これが本当に出来なくて、全然力が入らずに洗濯バサミがつまめない。
終了後も宿題としてこれやってくださいねと洗濯バサミを置いて帰られる。
宿題をやってみるも全然出来なくて挫折する。。
・理学療法士さんメニュー
支えてもらいながら歩く。
左足の感覚が無くてマジで歩けない。。
歩くのってこんなんだっけ?
車椅子生活になるの俺…
とめちゃめちゃ不安な気持ちになる
・言語聴覚士さんメニュー
顔面の左側のマッサージ
会話
食事訓練
うまく話せないなぁと言うのは自分でも感じていた。
手とか足と同じように口も動かすことが大事と話したり、あと食事も絶食の点滴のみからゼリーから始めましょうとスタート。
喋りやすい話し方、通じる話し方を模索した結果、神戸弁と岡山弁と広島弁が混じった変な喋り方になってしまった。。地元の友達に関西捨てて変な喋り方になりやがってと言われるがこの喋れるためにこうなったと説明を毎度している。
挫折とモチベーション
リハビリを始めて気づいたこと。
出来てたことが全然出来なくなってる…。
どうしようと焦る。
でも、頑張れば何とか治るはず!
動かしてたら動くようになるからリハビリするわけやし!と自分でも不思議なくらいとてもポジティブだった。
ベッドで左手の指を1本でも多く折れるようになりたい。言うことを聞いてくれない指と対峙しながら何とか動かそうと頑張った。
洗濯バサミも何とかならんかと右手を添えながら頑張ってつまもうとした。
ずっとそれをベッドでやる毎日。
そうすると不思議なことに少しづつ言うことを聞いてくれるようになってくる。
成果が出たことでモチベーションが高まりずっとベッドで何かしらしていた。普段のリハの時間も一生懸命頑張った。
2週間でかなり動くようになった。歩けるようにもなった。ご飯も流動食みたいなものが食べられるようになった。
担当医も担当セラピストも驚異的な回復力ですとびっくりしていた。
運が良かったのもあるかもしれないが、諦めずに自分は良くなる!という強い気持ちを持つことが大事。
そして、少しでも良くなったら、ほら良くなったらじゃん!と自分を褒めて上げること。
この2つが大事なんじゃないかなと思った。
病前と全く違う自分がいる中で、絶望してしまうかもしれない。自分もそうだったし。
ただ、気持ち次第で変わることは出来ると思う。
時間はかかるかもしれないけど自分を信じて欲しい。
さて、長くなったので今回はここまで。
次は回復期病棟への移動や高次脳機能障害の症状について書きたいと思います。
またお会いしましょう!読んで頂きありがとうございます!