おじいちゃんは死なないと思ってた
大人になってからも、おじいちゃんが入院してからも、「おじいちゃんは死なない」と思ってた。だって、スーパーマンだから。
その日、私は働いていた。母から着信があり、あぁまずいなと思いながら、電話にでた。母が「おじいちゃんが危篤で、今高速で病院に向かってる。」と言った。「きっとおじいちゃんは待っていてくれると思うから。お母さんが事故ったりしないように。辛いと思うけど、安全運転でね。」と絞り出すように伝えた。【注1】
仕事に戻って少し経つと、急に腕時計が止まった。あぁ、だめだ。おじいちゃん。きっと天国に行っちゃったんだね。
病院にお見舞いに行った時、いつも私の腕時計を指さして、「今何時だ?」って聞いていたおじいちゃん。私の腕時計を止めて教えてくれたんだね。あぁ、お母さんは間に合わなかったんだろうな。おじいちゃん、死んじゃったんだ。。。死なないってほんとに思ってたんだけどな。。。もう会えないんだ。。。本当寂しいな。。。おじいちゃん、今まで頑張ってくれて、私達が心の準備をするための時間をくれて、本当にありがとうございました。
後から母からもおじいちゃんが亡くなったと電話がきて、ひとしきり泣いた。私は気合いを入れて泣き止んで、何とかその日の仕事はこなした。でも、その日の記憶ははっきりとしていない。
おじいちゃんは、戦争経験者だ。戦争については多くを語らない人だったけれど、私と二人になった時に、一度だけ戦争の話をしてくれた。しんとした寒い静かな夜のことだった。
「梨恵、鉄砲はな、氷のように冷たいんだ。」
ぽつりと、たった一言だけおじいちゃんは言った。その瞬間、私の頭には真っ白な雪に埋もれそうになりながら、氷のように冷たい銃を構えているおじいちゃんの姿が浮かんだ。いつ敵に撃たれるか分からない状況。撃つか撃たれるかの状況下では、銃はずっと手に持っていないといけなかったのだろう。重かっただろうな。手袋をしていても、凍傷になるくらい冷たかったんだったんだろうな。怖かっただろうな。絶望することばかりだっただろうな。おじいちゃん、極限状態でも生き抜いてくれたんだな。
おじいちゃんは、シベリア抑留を経て戦争から生還した。シベリアでは通信系の仕事に就くことができ、外での作業時間が一部免除されることもあったらしいとおばあちゃんから聞いた。おじいちゃんは私にはシベリア抑留の話は一度もしなかった。でも、想像を絶するような過酷な環境下で、何度も死と隣り合わせになっても、周りの仲間達がたくさん亡くなっても、おじいちゃんは生きることを諦めなかった。生きることにしがみついて、生き抜いてくれた。
だから、私の中でおじいちゃんはスーパーマンで、絶対に死なないって思っちゃったんだよな。おじいちゃんの死は全然リアルではなくて、亡くなったおじいちゃんを見ても、今にも起き上がりそうだなって不思議な気がしたっけ。
おじいちゃんは、大変な経験をたくさんしてきたのに、いつも穏やかで優しい人だった。亡くなった時のお顔も、とても穏やかで、ほっとしたなぁ。おじいちゃんらしいお顔で、そこは嬉しかったな。
私は小さな頃からずっとずっとおじいちゃんが大好きだったよ。おじいちゃんが守ってきた命を受け継いで、孫として生きていることを、誇りに思ってる。スーパーマンのおじいちゃんの血が流れているから、絶対自分も強いんだ、何でもできるんだ、大丈夫って思えるんだ。
いつか天国で会えたら、「梨恵、よく来たな!頑張って生きたね!」って笑いながら言ってほしいな。おじいちゃんに胸をはって再会できるような生き方をしていくからね。
いつも見守ってくれてる気がして、嬉しいんだ。いつもありがとう、おじいちゃん!おじいちゃんは今でも私の中で生きています!
【注1】自宅から病院まで高速で2時間以上、私は当日自宅から40分離れた場所で仕事をしていたため、母は一人で病院に向かいました。私も自宅にいたら、一緒に向かったと思います。
【全体を通しての注】
「おじいちゃん」のことは、祖父と記述するべきだと分かっていますが、どうしても「おじいちゃん」と呼びたかったので、そのままにしました。同じ理由で、母、祖母の呼び方も「お母さん」「おばあちゃん」になっています。
口語体で書いてしまっている部分もありますが、これ以外の表現が難しいため、そのままにしてあります。