
感動したことばその2-no.3 〜エリック・ホッファーの「魂の錬金術」を読んで〜
前回に引き続き、エリック・ホッファーのアフォリズム集を読んで私が感動した文章を紹介していきます。
参考のために以前書いた私の記事を載せておきます。ホッファーの経歴については第1回目の記事で書いていますので参考にしてください↓
あと、書籍の紹介を忘れていました。
私が参照している文章は、以下の本の内容からの抜粋です↓
今回は3つ取り上げます。
1個目はこちら↓小見出し「情熱」から。
われわれが何かを情熱的に追求するということは、必ずしもそれを本当に欲していることや、それに対する特別の適性があることを意味しない。多くの場合、われわれが最も情熱的に追求するのは、本当に欲しているが手に入れられないものの代用品にすぎない。だから、待ちに待った熱望の実現は、多くの場合、われわれにつきまとう不安を解消しえないと予言してもさしつかえない。
いかなる情熱的な追求においても、重要なのは追求の対象ではなく、追求という行為それ自体なのである。
「魂の錬金術」より抜粋
特に感銘を受けた箇所は、私が太字にして書き写しました。
2個目はこちら。小見出し「欲望」から。
われわれは、しなければならないことをしないとき、最も忙しい。真に欲しているものを手に入れられないとき、最も貪欲である。到達できないとき、最も急ぐ。取り返しがつかない悪事を犯したとき、最も独善的である。
明らかに、過剰さと獲得不可能性の間には関連がある。
「魂の錬金術」より抜粋
これはグサリときました。
わたしは今、6月末に仕事を辞めて復職できていない状態なのですが、「仕事しなきゃ」と思って正直焦っています。無理に急いでいる感じが自分でもするので、「仕事ができてる自分」という目標に到達できずにいます。まさに到達できないときに、最も急いでいる状態です。
ここまで2つの箴言を読んでみて、
ホッファーが必ずしもペシミストではないということ感じが自分の中で湧き起こりました。
言ってることは決して肯定的だとは言えないけども、痛いところを突くというか、誰も言おうとしないけど実は本質的な内容ではないかと思うんですよね。
最後のアフォリズムはこちら。前の2つとは異なり、私たちに希望を与えてくれる言葉です↓
自分自身と競争し、現在の自分と過去の自分と対戦させるとき、われわれは過去の不幸や汚点によって勇気づけられる。そのうえ自身との競争は、仲間に対する博愛心を損なうこともない。
「魂の錬金術」より抜粋
後半の一文には補足が必要かもしれません。
「博愛心をを損なうこともない」のは「自分自身」と競争するからであって、もし、「他人」と競走することになれば、どちらかが勝ち、どちらかが負けるということが起こりうる。そして、片方がもう片方を憎むということになりかねない、、、。
ただ、本当に彼が言いたいことは前の文にあると思います。過去に苦しいことや辛いことがあったとしても、それを乗り越えた今の自分、経験を積んだ自分こそが、自分自身を「勇気づけ」られる存在だということです。
それを踏まえてもう一度文を読み返すと、ホッファーの言わんとすることに近づけるのではないのでしょうか?
ホッファーについてはあと何回か記事を書こうと思います。
今回はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました。