キリエのうた
こんばんは、冬眠中のとみです。
※映画を鑑賞される予定の方は鑑賞後に読んでいただくことをおすすめします。
本日公開日ということで、朝一で観てきました。
推しの松村北斗をスクリーンで観れる楽しみでワクワクしながら映画館へ。原作で衝撃的だった、ベッドシーンも覚悟して。
でも、スクリーンにいたのは松村北斗じゃなくて、潮見夏彦でした。
全然松村北斗みを感じない。
ベッドシーンに耐えられるかなとか考えてた自分が恥ずかしくなるぐらい。
むしろ、いやらしさが全くないどころか、綺麗で美しくて、温かさを感じるぐらいだった。
映画全体は、音楽がストーリーに溶け込んでいて、ストーリーについていくのに歌詞が全然不思議と邪魔になってなくて。
あ。この部屋の音楽、大塚愛さんがカバーしてる曲じゃん!
え。この店のBGMアイナちゃんが歌ってるじゃん!
と、なったけど今回はストーリーに集中しました。
いい意味で鑑賞2回目以降も音楽だけでも新しい気付きを楽しめそう。
今日の1回目だけでもストーリーも音楽も楽しめてしまったので、映画とライブを一度に楽しんじゃった感。
色もすごく鮮やかなシーンが多かったです。
特に、希(きりえ)が亡くなる瞬間がああやって表現されるんだ、となるほどな、と思ってしまった。(何様なんだ)
そして、地震のシーンはあの日の揺れ方そのまんま。
ずうっと揺れ続けていて、地震なんかじゃないかも、地球が割れてるのかもしれないと考えてしまうほどの音と目の前のものの崩れ方と。
あんなにおかしい地震の後は絶対津波が来るはずなのに、地震の後は津波が来るという、小さいころからずっと怖がってたことも忘れるぐらいの地震。
今すぐ忘れたい、このシーンもうここで終わってほしい、と恐ろしい気持ちにもなったけど、忘れちゃいけない恐ろしさだなとも改めて思いました。
大切な人を亡くして、あるはずだった未来を想像して湧いてくる寂しさ、悲しさよりも、もっと辛くて、重いものを夏彦は抱えていて。
これは夏彦だけじゃなくて、当時大切な人を亡くした人はみんなそうだと思うし、震災に直接関係しなかった人も、人間みんな、抱えてる重いものってあるよなって。
夏彦は、高3の夏に地元の後輩の希(きりえ)と付き合い始め、その年の冬に希の妊娠が発覚。夏彦は、赤ちゃんを産むことを反対もせずに許します。その後、地元宮城の大学を受験しますが、受かったのは大阪の大学だけ。
ここは私の推測ですが(原作にもこんなニュアンスで書かれていた気がします。)、表情からすると、産んでほしいふりをしていたように思います。本当はあきらめてほしかったんじゃないかなと。でも、そんなこと言えないし、思っちゃいけないと考えていたと思います。そんなこともあって、なかなか希と連絡を取れずにいました。そして、希のことは大好きだったけど、その先のことに正直まだ覚悟は持てていなかったと思います。
そんな中、あの地震が起こって、希は行方不明になります。
夏彦の台詞の中に、自分がしでかしたことを、なかったことにしたい、見つからないでくれとも思ってしまう、とあります。
ああ。人間だ。
ひどいと思いながらも、そう思ってしまう。
そう思ってしまっている自分に気づいて、自分を追い詰めて。
希がどこかで生きていて、ひょいと自分の目の前に現れてくれたら、みたいな思いのほうがずっとずっと強いはずで、その思いに比べたら、このひどい思いの大きさはそれの何億分の1なんだろうってぐらい、心の端の端にあるぐらいだったかもしれないけど、それがあるだけで、自分が恐ろしくなる。なんて卑怯なんだと思ってしまったんじゃないかと思います。
そんな思いも抱えながら、家族で1人生き残った希の妹、路花(るか)を夏彦は守ってやりたいと考えます。でも、二人に血縁関係はなく、法的には他人とされ、施設に路花は預けられます。幼い路花は、夏彦を頼って彼のところに自力で行ったのに。守るって何だろうって今日一日ずっと考えています。
そしてそして、アイナちゃんが大好きになった映画でした。
BiSH解散前に好きになりたかったなあ。
今日感じたこの思いを忘れたくないので、(いつも通りですが)思い出したものをそのまま書きました。
明日以降読み直して、さらに思い出したことだったり、誤解が生まれそうなところがあったら修正したいと思います。
どの角度から見て感じたものなのか、まとまりがなくて書き直したいところですが、そのまま残しておきます。(2023/10/15)
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