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障害児にも発達に重要な発達要求と第二者の形成

私は、障害や弱さを持っている子どもたちを支援する仕事をしています。

長年していると、やはり経験値が溜まりある程度この子どもは「こうなんだろうな?」とかこんな支援が必要かなって分かる場面がある。

しかしである。

この長年の経験が仇になることもある。

それは、見かけの重度さや見かけの能力で自らが分かったつもりなることである。
まさに、自己満足。

人間は学習を積み重ねると必然的に効率的に動けるように、〇〇=〇〇って思考をくぐらずにショートカットの道を作ってしまう。
ここに落とし穴がある。

障害や弱さを持っている子どもの発達はどうしてゆっくりなのか?
そして、発達とは誰がするものなのか?

発達とは、その子ども本人がするもであり、発達とは「発達要求」(発達の原動力)が矛盾を乗り越え発達が行われる。

発達とは、子ども自身が「やりたいけどできない」「掴みたいけどつかめない」といった自分の思いとの事実の矛盾を乗り越えたい!と思う強い要求が出た時に前進審するものである。

この矛盾を乗り越えたいと思えるほどの要求が弱いと、なかなか足ふみ状態でいることが続いてしまう。
だから、障害や弱さを持っている子どもは発達がゆっくりになる傾向が強くなる。

周りの大人が要求の先取りや引っ張り上げようとすればするほど、自らの一歩が遠のいてしまうことがある。

そんな発達について、ちょっと考えてみる。

乳幼児期は一つもので精一杯の時期である。
一つものを握り、違うものを握ろうとすると握っていたものを離してします。
でも、ひとつずつ確認をして二つのものを握ろうとする。

一つではないう二つのものを握ることは、単数から複数になり世界が広がろうとしているあかしである。

その力は、人見知りの時期にお母さんという信頼できる存在(第二者)を軸に泣きつつも新しい人を受け止めようとする力にもつながってくる。

この第二者はとても重要で、この第二者という特別な存在の大人がしていることは、光り輝いてみえる。
だから、ここから世界が広がっていく。

その世界を第二者と一緒に、子どもは指差しをしながら確認のまなざしを向けることとなる。
その時に、第二者から「〇〇だね」「〇〇しているね」とアンサーを貰いながら世界に意味付けを一つづつ行い、積み上げていく。

ちょっと端的に書きすぎて何言っているのか分からないと思いますが、私の信頼する白石正久先生の内容を解釈して書いた分です。


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