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親父:「悔いの無い人生だった」

「悔いのない人生送る」

まぁ、よく聞く言葉ですよね。

悔いの無いよう全力を尽くせ。

檄を飛ばす意味でも、よく聞く言葉ですが全力を尽くすって・・・ね。

そんな、ありきたりの言葉ですが実現するにはとても難しい言葉の

「悔いのない人生送る」

ってことについて書きます。

何故かというと、今日親父の大好きなうどん屋に連れていきズルズルと面をすすりながら、聞いてみた。

私:「仕事を上がって、隠居生活が8年目だがどうなん?」
父:「んー、もうそんなんなるかねぇ」
  「どうって、ごろごろしているばかりかな」
私:「まぁ、ごろごろっと言っても剪定するし、草むしりやレンガの隙間にコンクリ入れたり、することがないって事はないよね」(親父は元大工)
父:「そうだね、掃除やワックス掛けもするしね」
私:「そう考えると、伸びてくる草にむしらせてくれてありがとう言わんとね」
父:「あーそうかもねw」
  「でも、本当に悔いの無い人生だった。やることやったもんなぁ~

父は78歳と54歳男同士の会話。会話が弾むというよりも、ぼそぼそと話す感じ。

そんな中でできた、「悔いの無い人生だった」と78歳が言えば、それは重みが違う。

その後は、ほぼ会話の無い時間が多かった。

ちょっと恥ずかしいが、そんな親父と一緒にうどんを食べて誇らしくもありうれしくもあり、尊敬もしたりした。

何だか分からないが、うれしくなりうどんをすする親父の横顔の写真を撮ったり、自撮りで2shot写真も撮った。(なんか恥ずかしかった(*ノωノ))

帰りの車の中でも続きの話をした。

父:「田舎の方言丸出しで、周りに負けないように仕事をもらおうと必死だった」
私:「なるほどね、結果を残したという意味だけでなく全力だったって事ね」
父:「そうかなぁ」

単純にすごいなぁって思った。

自分がそんな年になった時に、自分の人生を「悔いの無い人生」っていえるだろうか?

そんな言葉を出すことが出来るというは、今その瞬間に全力を尽くしたって自分自身でそう思えるって事でしょ?
人生全てにおいて全力ってことは、無理だとしても

「やるときはやった」
「自分の人生を自分で掴んできた」
「失敗についても納得した失敗」

みたいなことが、きっと「悔いの無い」ってことなのかなって感じる。

ちょうど私も60歳以降のことを考える時期になってきている。
今この瞬間私は振り返って悔いの無い人生だったと思えるほど、生きているだろうか?


そして、親父はこうも話していた。
「もう、友達と会おうとも思わなくなった」って

これは、寂しいこと何て何故か感じなかった。
どちらかというと、精一杯生きてきたから今からは、植木と伸びてくれる草とかの相手をしながら・・・それでいいだろうと思う。
それで、本人が暇がないっていうだから間違いない。

正直、親父は私の「父親」としてはあまりいい点数をつけることが出来ない父親だった。
でも、それも含めて自分の人生を歩んだ一人の男の人生と考えるとかっこいいかもしれない。

妻にとっていい人だったと言われるのが、良い人生なのか?
子どもにとっていい人と言われるのが、良い人生なのか?
周りの人からあの人は良い人だったと言われるのが、いい人生なのか?

私には分からないが、親父のように
自分自身が、自分にとって悔いの無い人生だったと言えていることは、間違いなくいい人生なんだと思った。

こんなことを考えるなんて、私も年を取ったもんだ。
でも、こんな事を気づける自分は嫌いではない。
これは、今に自分だからこその感じ見えるもの。
この思いをnoteの書けたことは、本当に良かった。

自分が親父と同じ年になった時に、この文章を読むことが出来たならば、どう感じる自分がいるのか大いに楽しみである。

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