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人への仕事(保育)はマニュアルがあればできるのか?
今の若い人は、仕事ができない人が多い。っていう。
私のような、昭和生まれの人間の育った環境と平成令和を時代を生き抜いてきた若者を昭和時代の基準で考える方が無理がある。と思う。
昭和の時代は、今に比べれると不自由なことも多かった。でも、だからこそ不自由を自由にする想像力と技術が必要な生きるためのスキルだったように思える。
その上、仕事の内容は先輩から教えてもらうのではなく、「目で盗め」とか「背中を見て覚えろ」と無茶な言葉が正論のように根付いていた。
一歩、平成令和の人間は私に言わせれば生き方が「スマート」だ。
やるべきことを行い、自分にとって必要なもののみを取り込み、yes.no.を自分の基準で言える人も多い。
社会の流れに巻き込まれるというより、自分の人生を選択する人が多いとも感じる。(社会不安とかもあるので、一概には言えないですが)
昭和の感覚で言うと、先輩がしっかりしていれば後に続けと言わなくても、後についてきたものが、ついてこなくなった。(良くも悪くも)
そこで登場したのが、マニュアルや基準書ってやつ。
勿論、昔からマニュアルや基準書ありきで成り立っていた職場もあるだろうが曖昧だったところもあると思う。
私の働いてる「児童発達支援」と呼ばれる福祉施設には、あるけれども形だけだったり、全然無かったりもした。
世代を超えて共通の理解を得るためには、やはりマニュアルや基準書が必要なのだ。
〇〇は〇〇する。
××は××する。
▲▲は▲▲する。
とても大切です。
時には命に関わることもあるので、必要不可欠である。
しかし、私たちような”人”と関わる仕事の内容を全てマニュアルや基準書に落とし込むことが出来るのかとういと答えは”NO”である。
そんなことが出来たら、全ての保育園や幼稚園、学校で統一化してどこに行っても変わらい安心できる出来るラインを作れるはずである。
人間は十人十色で感情を持っているので揺らぎます。
先生だって揺らぐし園児だって揺らぐ。
だって人だから。
でも、事業所や学校など”人”に関わる仕事をしている施設でも高いレベルで秩序を持ちやるべきことをしている事業所も少なくない。
仕事を教えても、伝わらない人に何を伝えると伝わるのか?
”人”に対しての仕事を出来るようになるのか?
多分仕事はHow Toだけでは、成立しないということだと思う。
工業やITであれば大まかな部分はHow Toで成立するのかもしれない。(職人の感ってやつは、ハイグレードって認識しています)
でも、”人”との関りで一番大切なのは心なのではないでしょうか。
そんな気持ちで接するのかってことです。
その心は、どうやって磨いていくのか・・・
心を馳せるような、ことが出来るようになるのか・・・
それは、知識だと思います。
人って何だろう?
子どもって何だろう?
権利って何だろう?
愛ってどいう事?
寄り添うってどうするの?
守るっていつするの?
背中を押すってどんなタイミング?
信じるってどこまで?
こんなことを、マニュアルや基準書で書けますか?
全部、曖昧で答えがなくてその人と人との関係性で全てが変化しちゃう内容なのです。
変化するってことを分かること、どうしそんな心の動きがあるのかとうこと、どうして困っているのかという事、そうして笑顔を見せているのかという事。
そんなことを、考え自分自身の知恵として知識として持ち合わせた時に、心通わせた本当の”人”への仕事(支援)ができるのだと強く思います。
How Toに溺れてはいけません。
物は普遍的ですが、心は常に変わります。
だから、難しくて苦しくて大変なのです。
そして、美しくて儚くて、愛おしいのではないでしょうか。