
「辞めたい」って思う程「楽しい仕事」と思える訳
皆さんは、楽しくお仕事していますか?
まぁ、仕事なんでね辛くてきついこともあるのが当然ですよね。
それでも、再度お聞きしますが楽しく仕事をしていますか?
今から書く内容は、50歳を過ぎた人間だから感じることが出来たりそんな振る舞いが出来るって部分のあると自らも理解したうえで、自分の仕事を振り返りつつ考え見ます。
はじめに
学校を卒業してから、私の仕事歴はあと数年で40年になります。
昭和の時代~平成~令和って時代を生きていますが、仕事に対する考え方や向かい合い方なども変わっていますよね。
社会情勢や就職率、離職率、などなどいろいろな波をいろいろ見てきましたが、人が仕事に対する思いの本質的な部分ってあまり変わらないのではないかと思います。
結果、仕事なんて楽しんだもん勝ちですよ!
私はそう思います。
でも、楽しむって意味がね、手を抜いて楽してお金貰えばいいじゃんって事ではない。
そんなことを、自分の仕事への向かい合いで感じたことを書きながら振り返りつつ、楽しく仕事をするってどういうことなのか書いていきたい。
若いころの私の仕事観
臨時職員時代
私にも当然ながら、若い頃がありました。
現在では児童発達支援と言われる「精神薄弱児 通所施設」の臨時職員としてスタートしました。
単純に子どもが好き💕ってことと、障害関係への興味があったからですね。
本当に本当の最初はそれこそ「楽しい」しかなかったです。
臨時職員ってことで、周りが多分あまり求めてなかったこともあるでしょうが、思いのままに子どもたちと戯れていました。
身体を使った遊びは得意だったけれど、ままごとで「むしゃむしゃ美味しい」っていうのが恥ずかしいって気持ちもあったウブな私でした( ´艸`)
指示された子どもと一緒に遊ぶのが仕事だし、洗濯したり、バスに乗ったり・・・
何で言うんでしょうか、向上心を持ってっていうか今できることをして楽しいって感じで向かい合っていました。
正規職員時代
いよいよ臨時職員から正職へ
そのころになると、さすがの私もただ楽しいから、悩める男になっていました。
この世界は複数担任制といって、一クラス10名を3人で子どもたちを見ます。
私のような薄っぺらい正職上がりたての職員には、勿論大先輩とクラスを組むようになります。
3人でクラスを回すってことは、各役割を各々がこなすことが出来るから、滞りなく一日を終えることが出来るのです。
なんですが、まぁ~話し合いの専門用語が分からない。
子どもの気持ちの話やその先の話をするもんだから、先輩の意図を汲むことなんて1ミリもできない職員だったんですよ。
そして、熱い大先輩だったので話し合いが私の頭上3メートルぐらいで行われていて、その場にいるけどいないと同義な状態。
マジできつかった・・・💦
今でも覚えているが、精神状態が落ちそうなときは男性更衣室へ逃げ込んで、ばれない程度に息をしに行っていました。(ばれてたかなぁ?)
でもきつかった。
石の上にも三年
父親からよく言われていた言葉でした。
別に、父親に相談をしたわけではありませんが、きっと3年我慢すれば何かが変わるだろうって信じていました。
それから、辞める勇気っていうか辞めるっている選択がこの時代は基本ない時代だったしね。(仕事を辞める=ダメな男)
何かをつかみ出した
学ぶという事
実際に3年過ぎたあたりから何かの歯車が回りだしたのかは、定かではありませんが、その辺りから楽になりました。
何かをつかんだんです。(今だから言えるんだけどね)
それは、子どものことで意見が言えるようになった訳でもなく、一人で支援計画的なものを書けるようになったわけでもない。
では、何をつかんだのか。
周りの職員との関係性です。
相変わらず話し合いでは頭上を飛んでいます。
さすがに、3メートルではなく2メートルぐらいになったかもしれませんが、質問が出来るようになったし、先輩たちから梯子をかけて貰るようになりました。
少しずつですが、私という存在がその職場の一員となり小さいながらも役割を持たせてもらえるなったんだと思います。
関係性をどう培ったのか?
きっとそれは、先輩方が子どものことについてめっちゃ勉強する集団だったので、及ばずながら仕事が終わった後での勉強会の誘いを断らずに(断れずに( ´艸`))参加したり、研修会へ参加をしたり。
ようは、業務時間外の時間を共有することで「仲間」に入れてもらえたのかもしれません。
要は、この職場の集団性は「学ぶ」ということを土台に置き、ずっと進化を求めている集団とうことです。
なので、この「学ぶ」ことへの「姿勢」これこそが自分が認められたのだと思います。
勿論この時代は私も20代・・・勉強なんてしたくなかったし本なんて読みたくなかった。
正直、苦痛💦
でも、ここからいろいろなことが変わってきます。
支えているということは、支えられているという事
正直めんどくさい勉強でしたが、障害児の療育施設として保護者への学習会をする役割が強制的に回ってくるので、学生以上に勉強しました。
でもですよ、にわか仕込みの学びで年上の保護者へ学習会で伝えられるなんてことはある訳なーい😭😭😭😭訳ですよ。
ドドドドドド緊張で迎えた学習会当日💦
和室の部屋でちゃぶ台やら公民館にあるようなテーブルを出して、急須からお茶を入れる。
お茶さえ「先生薄ーい」って突っ込まれる始末💦💦💦
今思えば優しさの突っ込みですがね。
そして、いよいよ学習会始まります。
「おはようございます。今日は私が〇〇について話をさせてもらいます。」
「初めてなので・・・」
って言った矢先にあるお母さんがその場を割ってこんなことを言ってくれました。
「〇〇先生は初めての学習会なんだから質問は禁止ね」って
その言葉をうけて、笑い声と共に場が和みます。
実はこのお母さんは、私になついた子どものお母さんです。
特別扱いをしているわけではありませんが、子どもとの関係への気持ちは、技術は別にして一生懸命楽しくしていたのは間違いないです。
技術とかうまく出来るとか、失敗がとかではなく多分がむしゃらに近い感じだったのではないかと思います。
仕事というのは、提供するもの。
一方的なものだと思っていましたが、実はそうではなく巡ってくるものだったのです。
自分がしていたことは、評価されていたんだと初めて知りました。
涙が出ました。
支え支えられる循環があることを知りました。
更なる好転
こんな経験をして、自分の中の歯車が回りだしたのだと思います。
次に循環を感じたのは、きょうだい児から「先生のようになりたい」って言ってもらったときは、恥ずかしくなる気持ちと同時にちょっと自分が凄くなったような錯覚さえも感じました。
別に、おしゃべり上手でも文章が上手でも(今でも下手)なかったのに、そんな言葉を貰えるということは、私の仕事ぶりをお迎えの時などに見ていて思ってくれただと思います。
こうなってくると、若干自分が「出来る」って感じ違いを起こしますが、その勘違いは学びに対する意欲が引き出され、自分の意見も膨らむことになります。
そんな積み重ねをしていく中で、自分なりの理論の土台が出来てきたように思えます。
そんな時期になると、実習生の担当もするようになり反省会や指導も任されるようになります。
実習生が私の話を聞いてくれて、同じ道をすすのを決めてくれたり、同じ職場に就職してくれることもありました。
好転の裏にある失敗
天狗の鼻が伸びる(昭和な人間は自信過剰のことをこんな表現をします)とその分失敗も増えます。
子どもと楽しく遊びたいばっかりで、ある日セラピーボールを外で空高く跳ねさせて遊んでいました。
子どもも「楽しいー♬」ってなっていたのですが、そのボールの下敷きになってしまい、顔面が血まみれに・・・💦
今でもあのショックは覚えている。本当にごめんなさい・・・
大事にはならなかったのですが、リスク管理なんて言葉はこの時代はなかったので、勉強させてもらいました。
それから、子どもに立っションをさせている(この時代は当たり前)家庭があり、家庭訪問に行ったときに保護者に話をするという役割が私に任命されました。
話をする相手は、よりによって父親。
それも、その人はぶっきら棒な人でちょっとビビっていた。
でも、役割なのでと「これが、あれで、だから、・・・の為に💦」っていっていると。
「回りくどくて分からん」って一刀両断され、怒られちゃいました。
プロ失格ですね・・・↓詳しいエピソード
勿論、細かい失敗なんてもう覚えていませんが当然のようにたくさんあります。
でも、基本がポジティブなんで本当に覚えていません( ´艸`)
仕事を辞めたいと思ったこと
今現在も同じ仕事をしているけれども、何度も仕事を辞めたいと思ったこと当然あります。
何度もあります。
でも、なんでまだ続けることが出来ているのか?
それは、自分が何でこの仕事をしているのかということが、今の今でもブレていないからです。
大抵、仕事を辞めたいって思うときって、「職員との関係性」とか「上司との相性」とかだったりしますよね。
これっていうのは、仕事の内容の外の問題だと私は考えます。
なので、辞めたいってくじけた時は。
私は何のために頑張っているのかって初心に戻ります。
”全ては子どもの為保護者の為って”
もめている人に為に働いているわけではないもんねーって心で叫んでいました。
この時の教訓は、職員を管理する立場となった今私の土台となっています。
職員関係が上手くいかない・・・など悩んでいる時も、私を慕っていつも相談をしてくれる職員もいました。
相談に乗ってあげている方なのですが、実はこれこそが「私はここにいていいだ」って感じた場面でもあります。
きっと、相談に来てくれる職員も私が子どもに馬鹿正直に接していたからかもしれません。
結局、子どもを通して助けられたってことになります。
仕事を楽しむとはどういうことか
仕事って、良いことも悪いことも、辛いことも理不尽なことも当然のようにあります。
波のように、交互に押し寄せてきます。
そんな波に飲み込まれるのか、乗りこなすのかってことになります。
困難なことが起きれば起きる程、それを乗り越えた時の安堵感は計り知れません。
なんなら、達成感とか手応えはそれがないと、掴みにくささえあります。
しかし、波に飲み込まれてしまうと視野が狭くなり、息ができなくなり自分の事で精一杯になり、まるで悲劇のヒロイン・・・になっちゃいます。
そん時にどうやったら、海に沈まず浮かんでこれるのか?
それは、まず
「浮かぶ意思があるのか?」
「乗り越える勇気があるか?」
「自分のせいにできるか?」
「成長する勇気があるか?」
そして
「笑う覚悟があるか?」
ってことです。
楽しむって楽(らく)って書きますが、実は勇気と覚悟が必要なんです。
辛いことも乗りこなしちゃう度胸が必要なのです。
そんな気持ちは私は簡単には掴み取ることは難しいかもしれません。
私は、仕事を始めた時からの「子どもが好き」これだけで、ここまで来ました。
そして、自信もあります。
あまり自信をひけらかすようなことは、日本人的には敵も作っちゃいそうですが、自分の人生においてきちんと足跡をつけてすすで来た道を振り返って自信があると言って何が悪いのでしょうか?
だから、私は自信を持って”楽しんで”仕事をします。
どうせ苦しい仕事ならば、乗りこなして楽しまないと損ですよ!
こんな長文誰が読むんだろう・・・って思いますが
自分の中の整理もなりました。
少しでも、笑顔がある仕事人が増えますように🥰🥰