障害児の療育とは?それを選ぶのは保護者です。
療育とはなんだろう?
子どもが発達することって何だろう?
成長ってどんな意味?
健常児と障害児は違うのか?
支援とは?
漠然としている質問です。
答えはないってやつです。
でも、自分の中に答えを持っているだろうか?
提供側の支援者や保育士の皆さん
そして、障害児や弱さを持つ子どもをもつ保護者の皆さん
提供する方もされる方も”考え”や”軸”を持たないと、対象となる子どもはどうなんでしょうか?
あそこの施設では〇〇をしてここの施設では〇〇をして、そしてあっちでは・・・って生まれて間もない子どもが、次から次への様々なことをする。
大人の私たちの生活で例えると、
施設は社会の場であり、一対一ならば塾的な感じになるだろうか?
私なら、一週間に三か所とかまわるとちょっと疲れちゃう。
大人ということは、見通しが取れてスケジュールの管理をして、心の準備やストレスコントロールもしたうえで、これだ。
っということは、生活に対しての生きにくさをそれでなくとも持っている子どもたち、環境に対しても慣れることに敏感だったり鈍感立ったりする子どもたちにとってみるとどうなんだろう?って思う。
一概には言えない。
肢体不自由児や疾患がある子どもは有無を言わさず病院や訓練を行う必要がある。
何故か、それは何事にも代えがたい”命”にかかわるからだ。
生活を送るための身体を作らないといけないからだ。
まさに、生きるための手段といっても過言ではない。
最優先だ。
しかし、知的だったり自閉症だったりの障害児や弱さを持っている子どもはどんな力をつけるべきなのか考えないといけない。
思うように育ってくれず悩んでいる保護者に子どもを見て、どんな力を大切にすべきなのか、支援者は見出し伝えそして、子どものを伸ばし変化を保護者にみてもらい、成長することや未来があることを伝え安心をさせないといけない。
保護者は辛いことは十分承知の上だが、それでも我が子どもをどんな”人”になって欲しいのか、希望を持ってほしい。
何故か?
健常児でも障害児でも同じ”子ども”なのである。
同じように未来を持っている。
普通の子どもになって欲しいではなく、どんな”人”になって欲しいかだ。
事業所がその思いを受け、その希望に対してスモールステップで計画を立て道を切り開いてくれるはずだ。
それが出来ない所は、そういうことだ。
私は、親戚に重度心身障害をもっている方が二名いる。
関りはあるが、苦労は味わっているわけではない。
だから、障害を持つ親の苦しみは分からない。
分かったような振りはしたくないし分かるはずもない。
そんな簡単なことではないからだ。
私が今までnoteに書いている内容は、私の”答え”です。
”答え”は理想であり、方法ではないのでつかみ取ることは本当に困難です。
光は見えているので方向は間違っているないと、自負していますがたどり着くことはまだまだなさそうです・・・。
だから、学びを忘れたくないし今でも子どもとのエピソードを大切にしていきたいと思います。
そうそう、先日保育所等で小学校へ行った時の子どもの姿にとても勉強になったのです。
子どもの成長って本当に凄い・・・・
ちょっと長くなったので、この話はまた次回したいと思います。