ルッキズムから抜け出したい①
「もし私が石原さとみだったら、、、って思っちゃうの」大学一年生になったばかりのころ、サークルの帰り道。私が友人にこう言うと、友人は大きく同意した。自分の見た目では幸せになれないんじゃないかって途方もなく大きい不安を感じ始めたのは、今から4年前の大学1年生の頃だった。そして、今になってもまだ私は自分の見た目にとらわれているし、いつになったら抜け出せるのか暗い気持ちになる。
ここでは、うまく書けるか分からないけど、私の人生の一大テーマである「美と幸せ」について書いてみたいと思う。
大学受験を経て、晴れて大学生になるときはこんな鬱々とした気分ではなかった
中高6年間の女子校生活も楽しかったけど、厳しい校則と受験勉強から解放されて、青春ができると思った。共学の大学での学生生活にワクワクして、「野球が好きだから、野球サークルのマネージャーをやりたいな!サークルのかっこいい先輩と付き合ってみたいな。私にも彼氏が出来ちゃったりするのかな。デートではディズニーランド行きたいな。」って夢を見て信じていたこの頃に戻りたい。
親に連れて行ってもらったデパートで初めてのメイク道具を買ってもらった。美容院で初めて髪の毛を茶色に染めた。雑誌を読んで「どんな服を着ようかな」って考えて、デパートで大学生っぽいかわいい服も買ってもらった。中高の後輩たちに「先輩、大学生っぽい!」って言われて、なんだか嬉しくて、たくさん写真を撮った。大学生っぽいことがしたくて、原宿にパンケーキを食べに行ったり、SNSを始めてみたり。
でも、大学に入学してしばらくたった5月頃、なんとなく違和感というか不安感を感じ始めた。
私は「なし」側の女の子なのかもしれない
例えるならば、テレビで「お前とは付き合えねーよ」ってブスいじりをされている女芸人のように、男の人にとって「なし」の存在なんだって気付き始めたのは五月ころだった。一つの大きなきっかけがあったわけでも、見た目のことで何か嫌なことを言われたわけでもない。
ただ、新歓で隣に座っていた広瀬すず似の女の子だけが男の先輩に囲まれてラインを聞かれていたとか、友人と一緒に男の子にラインを送ったら友人にだけ返信が来たりとか、いいなと思ってた人がミスコンで優勝した先輩と付き合ったりとか、学科の可愛い女子ランキングに自分は全く入っていないと悟ったときとか、、、ここには書ききれない一つ一つの些細なことで自分は選ばれない側の女の子なんだなっていうことを察した。
大学生活に浮かれていた自分が恥ずかしくなった。ワクワクする私に色々買ってくれた親にも申し訳ないような情けない気持ちで、すごくみじめだった。
なんで私は選ばれないんだろう
今まで勉強を頑張ってきたけど、チヤホヤされているのは自分が通っている大学よりも偏差値の低い女子大の女の子達だった。
私はただの「性格のいい子」だった。高校時代の友人には、「優しくていい奥さんになりそう」って言われていたし、好きな男の子にも、仲の良かった男友達にも、学年一のイケメンと付き合っている美人な友達にも、「すごくいい子」って言われて嬉しかったはずなのに、段々と純粋に喜べなくなってしまった。
勉強を頑張っても、性格よくいい子でいても、私が選ばれないのは可愛くないからだと思った。少しメイクをして髪の毛を染めたくらいでは、高校生のころから可愛い女の子には到底及ばないって気づいた瞬間、これからどうやって生きていこうって絶望した。
ちょうどその頃、SNS上でのブームは石原さとみだった。この石原さとみが可愛いってタイムラインに流れてくる写真は本当にかわいくて、生き生きしていて、こんな顔だったらと思うようになった。特に彼女が演じた『失恋ショコラティエ』のサエコさんは、性格がいいとは言えないけど、あざとくて女の私から見ても魅力的で、そして「やっぱりいい子なだけでは男の人に好きになってもらえない」と実感させられた。
大学1年生から、「美」と「幸せ」について考えるようになった。
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ここまで読んでくれてありがとうございます。何日かかけて、ルッキズム、美と幸せについて、大学時代を振り返りながら書いていきたいです。
最近SNSやメディアでも、ミスコンの是非についてルッキズムの視点から話題になっていて、それについていろんな意見があると思います。たくさんの人に読んでいただいて、皆さんの考え方とか経験談とか思うこと・考えることを、コメントなどもらえるとすごく嬉しいです。
というのも、自分自身まだ答えが出せず、常に頭の片隅で考えているので、多くの人の考え方などを聞いて、もっと深い視点で考えたいし、あわよくばルッキズムから抜け出して、自信を持って生きたいです。