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大学卒業後、アルバイトを経てライターになった23歳最後の日に思うこと

大学や専門学校を卒業し、多くの人が新社会人としてスタートを切る20代前半のとき。新社会人になるということは、まるで人生の第2章が開幕するかのように思う。「でも、このまま私は夢をあきらめてもいいのだろうか?」1年前、胸中に生まれた小さな違和感は、どんどん膨らみ私の原動力になった。

これは新卒入社をやめてアルバイトで出版社に入社し、いつのまにかライターとしてキャリアをスタートしていた私の話。(※長いので読まないほうがいい)

編集者の夢をあきらめることができなかった

みんながスーツを身に纏い入社式に向かう2018年4月2日、私は自分の部屋のベッドで横になってごろごろしていた。いわゆるフリーター生活。

内定先の入社手続きをはじめる直前の2月、私は内定を辞退した。編集者になるという夢を諦めることができなかったからだ。出版社は狭き門、そんな言葉は聞き飽きた。

入社する予定だった金融企業は、正直あまり興味がなかった。しかし出版社の内定だけでなく、なかなか内定がもらえない就活状況に、私ははやく終止符を打ちたいと思っていた。そんな中、内定が決まった金融企業は安定且つ給料もそこそこ良い。とりあえず、入ってまずは貯金がてら頑張ろう、転職はその後に考えよう、と当時は考えていた。

そんな考えが一気にひっくり返る出来事があった。去年の正月、実家に家族が集まったときだった。うちは5人家族で父、母、兄が2人、そして末っ子の私だ。家族で集まると必ず最初に仕事の話をする。

「若いうちはお金に関係なく頑張りな。そしたらいつかきっといいことが起こるよ」
父が1番上の兄に向けた言葉だったが、その時すでに私の中に生まれていた違和感に対して、答えになる言葉だった。

そういえば、うちの家族はみんなベンチャー気質だった。父は外資系企業を退職後MBAを取得してコンサル会社を設立し個人で仕事をしている。母はセラピストで過去にリフレクソロジーのサロンを開いていたことがある。1番上の兄はベンチャーの不動産企業の課長。2番目の兄は訪日外国人向けのチャットコンシェルジュアプリを開発、起業している。これはやはり遺伝なのかもしれない。 父の言葉が頭から離れない私は、これから先なにが起こっても後悔だけはしたくないと思った。

新卒入社だけが正しい道なのか?みんなとはちがう道を進みたかった

私は大学を5年間通った。2年の頃必須科目を2つ落として留年、2年生を2回過ごした。就活も卒業もすでに周りの人より1年遅れている私にとって、新卒入社という進路をあわせる必要はないと思った。それに、1つ2つ歳上の先輩の仕事辞めた話がちらほらと耳に入ってくる。およそ40万人就活生がいる中、選んでくれた企業が必ずしも自分に合うとは限らない。どうせいつか転職をすることになるなら、新卒入社だけが正しい道ではないと思った。

3月になり、アルバイトでも契約社員でもなんでもいい、とにかく編集の現場に関わる仕事をしたい思い、1年振りに就活をはじめた。あまりうまくいかなかった。4月スタートを目指していたけれど、結局決めることが出来ず、入社式の予定だった4月2日もとっくに過ぎていた。いざ、振り切って進んだ道は失敗に終わったのかと不安で押しつぶされそうだった。面接の手応えがあった某エンターテイメント会社に電話で「今回は申し訳ありませんが…」と言われた時は喫茶店で涙を流した。アルバイトでもこの業界に入るのはなかなか難しいことだった。

そんな中、あまり興味はないけれど応募してみた校正・校閲の仕事はなぜか採用された。「ほんとうに地味な仕事ですよ」と面接中何回も言われ、まるで"あなたにはこの仕事はあいません"と言われているようだったのに。

そんなことがあった日に、今度は出版社から面接の案内の電話があった!これが今勤めている会社。当日の面接は和やかな雰囲気の中ハキハキと質問に答えた。過去にユニクロでアルバイトしていたという経験が好感を得たのか、結果は採用!同時に約2カ月のフリーター生活、就活もあっという間におわり、出版社のとある雑誌編集部のアルバイトとしてすぐに働くことになった!

あこがれの編集部!だけど…

編集者といっても、やりたかったのはファッション誌の編集だった。でも配属されたのは、まったく分からない美術雑誌。知ってはいたけれど、自分とは程遠い存在だった。一体どんな人がつくってるんだろう、最初は想像もできなかった。

アルバイトの仕事は、ライターさんのお手伝いや電話応対、郵便物の仕分けなどの事務仕事。編集のことは一切できないけれど、実際に雑誌が出来上がっていくのを目の当たりにすることができてすごく嬉しかった!編集者やライター、印刷会社、デザイン会社、他にもたくさんの人の協力で雑誌が完成する。読者の立場からあまり見ることのできない編集の裏側は、私にとってとても贅沢なものだった。そしてなにより、みんな優しくて、温かい会話で溢れる編集部はすごく居心地が良かった。編集長はかなり変わっているけれど。

でも、このままじゃダメだ、ずっとこの仕事を続けるわけにはいかないとも思った。一歩前に進もうと、宣伝会議主催の「編集者・ライター養成講座」に受講した。この講座は6月から12月の半年間で、一流の編集者やライターの方々が講師になり、毎回各テーマに沿って基礎から指導してくれる。右も左もわからない私にとって、とても勉強になったし刺激的だった。

10代から50代まで受講生の年齢は幅広かった。私みたいに編集者やライターを目指す人、転職を考えている人、すでにメディアを立ち上げていてノウハウを学びにきた人。いろんな人がいたけれど私はこの講座が終わったら、次はちゃんと編集の仕事につけるようにまた就活しようと思っていた。このままアルバイトとして事務仕事を続けていても、前には進めない、そんな心に募る不安と焦りが講座を受けた動機だった。

「出版社の順番待ちをしているやつはセンスなさすぎ。」

たまたま開いたTwitterのタイムラインに幻冬社の箕輪さんの言葉が流れてきた。やっと受かったのに…。そのときの自分にとってはとても衝撃的だったので、一生忘れない気がしている。

持っていた夢は、はじまりじゃなくてゴールだと思っていた

そもそも、編集者になりたいと思ったのは単純に高校生の頃ファッション誌を愛読していて大好きだったから。美しい誌面で感性に響くものがあった。だからいつかファッション誌の編集者になって、ビジュアルで伝えるものをつくりたいと思っていた。

でも実際は…、なにも考えてこなかった。ファッション誌の編集者になる、それだけがゴールだった。その先は?実現したらどんなコンテンツを届けたいのか、どんな編集者になりたいのか、漠然としていた。自分は、世の中に何を伝えたいんだろう。そう考えたとき、ファッション誌というものが私にはしっくりとこなかった。

編集部には、見本誌といって最新号の発売より少し前に完成した雑誌が届く。仕事中、時間に余裕ができたときは編集部の最新号を読んだ。美術のことなんてなにも知らなかった。だから、基本的な知識がまずない。難しそうな雑誌だなぁと、最初は勝手に思っていたけれど、開いてみるとそのイメージとはまったく正反対のものだった。読者を惹きつける切り口、多彩な言葉で分かりやすく、読者を楽しませてくれるような文章。それを読んだとき自分の席からいつも見えていた、一心不乱に雑誌をつくる編集部の方々の姿が頭に浮かんだ。この血と汗の結晶は美術について皆無な私にもはっきりと伝わった。

小学生の頃から歴史が好きだったからか、物語の背景や、人物を知ることが好きで、ついその人物に共感してしまうのがクセだった。この雑誌を読んだときは、自分に新しい引き出しができたみたいで嬉しい!誰かに話したい!そんな思いが溢れた。と、同時に私はこんなことがしたいのだと思った。あまり知られていなかったこと、発見や驚きを世の中に発信したい。それが誰かのためになるもので、誰かを楽しませるようなものをつくりたい。

それから、ファッション誌や雑誌だけにこだわることはなくなった。webの道でもいい。それに"編集者"にもこだわらなくなった。勤め先でもそうだったけれど、編集も含めたライターの人が多かったからだ。

講座では、webライターを志望している人が多かった。誰でも発信できる時代になった中、価値のある情報とは何か、ほかの情報とどう対抗するのか、ネットでは戦いが起こっている、それを聞いてなんだか楽しそうな世界だと思った。

平成最後の思いがけない出来事!アルバイトからライターへ

転機が訪れたのは10月。webメディアのリニューアルをすることになり、編集長からこっち(web)で仕事をしないかと…。今振り返ると平成最後の思いがけない出来事だった!あと1カ月後には、アルバイトの契約が一旦切れるという時期。このままアルバイトを続けるか、webの仕事をするか、2つの道があると…。1週間考える時間をいただいたけれど、もちろん答えは決まっていた。こんなチャンスをくれた編集長にとてもとても感謝している。

編集長はいつも相談に乗ってくれていた。アルバイトの仕事のことも、これから先のことも、講座の課題のことも。(教えてくれたことは"編集長の教え"としてEvernoteにまとめるのが日課)一度、講座の課題で自分が書いた文章を編集長に見せたことがあり、文章うまいね!と褒められたことがあった。それが声を掛けてくれたキッカケかなと思ったけれど、どうやら違うらしい(笑)

雑誌には毎号、ハガキを使ったアンケート集計があり、掲載されている中で行きたい場所と買いたい物を読者に記入してもらい票を集計する。その結果を1枚の紙に写真などでコラージュしてランキング表をつくるのも、アルバイトの仕事だった。私が作ったランキング表は、編集部のみんなが楽しく見てくれたり、キャプションが良いと褒めてくれたり、正直自由に作っていたものだったけれど、これがなぜか好評だった!どうやらこれがキッカケで編集長は声を掛けてくれたらしい(?)

今はとにかく編集部の力になりたい

正式に11月から、webスタッフとして働くことになった。最初はSEO?コンバージョン?トラフィック?分からないことばかりだったため、起業している2番目の兄オススメの本を読んだりして勉強した。それに加えて私は美術のこともわからず、文章もクオリティが低いため勉強することは山ほどあった。

でも、そのおかげでハリのある毎日を送っている。まず、webの立ち上げに一から携われること、文章や企画を一流の編集者やライターの方に見てもらえること、商品開発やイベントの企画などに携われること。編集長と美術館に行って、作品を見ながら基礎を叩き込まれたこともあった。1年前には全く予想できないほど、私は今、恵まれた環境にいる。正直、声を掛けらたことについて、自分の実力みたいなものはないと思っている。内定を辞退して、たまたまアルバイトで採用され、たまたまタイミングよくライターになることができた…。でも、この縁を大切にしたい。そして、はやく一人前になって編集部の力になりたいと思う。

webスタッフになってから、4ヶ月目。慣れてきてはいるけれど、まだまだ力不足だ。それでも、社会人というのは予想以上に時が経つのが早い。これはしょうがないことだということを受け入れて、私はこれからも1日1日を大切にしていきたいと思う。

これからどんどん会社という看板が使えなくなっていく。今すでにそうなっているのかもしれない。その看板に頼らず、私は個として役に立つライターになりたい。これは、人としての目標でもある。

2019年2月5日、23歳最後の日。諦めずに走り続けた23歳の私にありがとうと伝えたい。

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