【朝読書】固定観念の沼、いや僕のはドロ沼でした。
今日は、白取 春彦さんが書かれた"頭がよくなる逆説の思考術"を読みました。
それもこれもあれも全て"固定観念"
いつまでも普通の絵しか描けない人と最近絵を描き始めてすごい作品を描く人の差はなんだと思いますか?
「才能?」
「絵を描くことが元々上手い?」
いいえ。絵とはこういうものだと言う固定観念を持っているかいないかの違いです。
この本の中ではそう説明してありました。
確かに、自由な発想をする人はそもそも「こうあるべき」などと言うことを全く思っていません。
「こうあるべき」と思っている人は、現在と全く異なる仕事をしても同じだと説明されてありました。
この本の中では建築デザイナーの例を挙げています。
現在の仕事→全く異なる建築デザイナーになる。
その人の考え方は、"建築デザインを教える学校に行く"→"その学校を卒業する"→"有名な建築デザイナーの事務所に就職"
この考え方は、全く持って「こうあるべき」と言う固定観念にハマっています。
確かに何かをやろうと思った時に「こうあるべき」から始まってしまうと全く何も成長できませんし、何も新しいものを生み出すこともありません。
僕も色々自分の中に置き換えてみると「固定観念」だらけだとこの話を読んで思わされました。
収入を上げたい→何か資格をとる→資格をとるために学校に行く→資格合格
みたいな感じで考えてしまっていました。
しかし、これも「こうあるべき」という固定観念ですよね?
収入を上げるとか、お金を稼ぐとか、もっと色々方法はあるのに、こう言う風にしたら周りが納得してくれるとか変な見栄を考えているからですよね。
そんなことしなくても世の中色々な仕事があるので、もっと今すぐにやれることをやればいいんだと納得もできました。
方法論を求める="固定観念"
この本を読みがなら、では「自由な発想をする人はどう考えて、どうすればそうなれるのだろう?」と考えていました。
すると、この著者からこう言われました。
「そのこと自体が凡俗の最たるものであることに気づきもしない。なぜならば、ノウハウを知りたがっているからだ。」
「方法論を知りたがるというのはどこかに既成の確実な道があるはずだと決めつけていることだ。学校に行けば何か役に立つことを教えてくれるはずだと考えていることと全く同じだ」
もう完全にノックアウトされて、一発KOになってしまいました。笑
完全に著者に読まれていました。
つまり、僕は"固定観念"と言うドロ沼にどっぷり浸かっていたと言うことです。
この沼から早く抜け出さなくては。。。
自分なりを表現する
新しいものを生み出す人間の条件とは一体なんだろう?って思いながら本を読み進めていました。
その中で、僕なりにこれが答えだと感じたことです。
それは、「その人自身が新しいかどうかであり、なおかつ生産的であるかだけなのだ」
つまり、新しさと生産力を持っている人=自分なりの表現をせざるを得なくなる人。
だから、結局は自分なりのやり方や自分を表現することが固定観念に縛られずに新しいものを生み出すことができる人だろうと思っています。
常に自分も柔軟になんでも受け入れる体制になって、自分を表現していくことで新しいものを生み出せると言うことです。
このnoteでの朝読書の内容も、こうあるべきだと自分の中で固定観念があったのかもしれません。
この本を元に"自分なり"を少しずつでも良いから表現していけるように頑張ります!!
みなさんも一緒に頑張っていきましょー!
以上、読んで頂きありがとうございます。