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[怪我の光明]現代の「囲い込み」をどう生き抜くか

 最初にAIに描かせたイメージ画を貼っておきます。話はその後に。

イメージ画の説明…… 産業革命時の「囲い込み」が行われる前の農村の暮らしを再現を試みました。残念ながら、身なりが良い人たちは農民ではなく領主、貴族だと思われます。また、放牧は「囲い込み」が終わった後の営みです。そこは差し引かねばなりませんが、しかしそれでも、そこに豊かな暮らしがあったことが偲ばれます。
 スラム街の貧しい労働者たちは、故郷を追われなければ生涯このような場所で生きることが出来たのです……

「幻聴ラヂヲ」が悲観的なこと、インボー論めいた内容なので、こちらでは希望を探すことにしました。
 表題はベタで全然、クールじゃないですが、「怪我」って「我」を「怪しむ」なんですよね。「(自)我」というのは西洋の近代文明では基本ですけど(たぶん)、たとえば仏教だと「妄想」、「苦しみの根源」と捉えられます(たぶん)。ですから、「我」を「怪しむ」というのは、仏教的には、良いことなんです!(たぶん)
 前置きはそのくらいにして、一回目は、現代の「囲い込み」?……

 こんな一節を見かけました。

…歴史的に、経済パラダイムの変化は、主流の歴史家によってめったに強調されない死者数をもたらした。ヨーロッパで地方から大都市への移行が起こったとき、新しいパラダイムを受け入れることができなかった多くの人々が自殺した。

 産業革命の時代のことだと思いますが、これまでのわたしの理解はこうでした。

 共有地を力の強い者に取り上げられた(「囲い込み」)農民たちは、住み慣れた故郷で食べていくことが出来なくなり、糧(仕事)を求めて都市に移り住みました。そして、苛酷な労働に……

 つまり、農村に残った人たちのことを考えていませんでした。
 どうだったんでしょう?
 想像するに、都市労働者以下だったと思われます。そうでなければ、大量の農民が都市に流れ込み続けることはなかったでしょうから。
 しかし、都市に流れ込んだ人々を待ち受けていたのは奴隷のような境遇。初期の都市労働者の置かれた状況はすさまじく酷かった。ですから、それ以下だったとすると、ほぼ難民農村で「多くの人々が自殺した。」というのは、そういう意味だと思われます。
 農民って、本来、すごく忍耐強いんです。その農民が自殺するというのは、よほどのことです。

 もっとも、ここで政治の話をするつもりはありません。この記事で考えたいことは、二点かな。

 一つは、運命の分かれ道は、絶望的な状況になる前にある、ということ。「囲い込み」が完了すれば、故郷を出て都市に向かうのも、地元に残るのも、いずれも地獄。比較的良い選択肢があったのは、「囲い込み」が進行する前まで。
「囲い込み」の噂が聞こえてきてから、自分たちの土地でも「囲い込み」が行われるまでにどれだけの時間差があったのか。地域によって違うでしょうが、運命の分かれ道があったのは、その数年間。

 二つ目は、現代版の「囲い込み」がはじまったのではないか? ということ。現代版の「囲い込み」とは、スーパーインフレ。お金の価値が激減する事態と「環境保護」をタテマエにした様々な規制。都市部以外の居住が順次禁止されるという話まであります。二酸化炭素に課税、水は有料……
 現役世代の場合は、所得がある程度は上昇しますが、預貯金や年金は悲惨なことになりそう。まあ、そのあたりのことは底辺のわたしに語る資格はないので、「インフレ自衛策」とか「ハイパーインフレ」というようなキーワードでググられたほうがいいでしょう。
 ひとつだけ云うと、来年では、もう手遅れかも。今は時代のスピードが恐ろしく速い。物価の上昇はすでにはじまったので、激動期はすでにはじまっている。今は「はじめチョロチョロ」の段階でしょう。「なかバッパ」が訪れるのが来年頃ではないかと。
 単語だけ並べても、ドルの○○?、新円、憲法改正の国民投票?、介護保険制度の行き詰まり? 等々。

「幻聴ラヂヲ」なら、そこで終わるところですが、このシリーズでは、なんとか希望を見出したい。

 たとえば、インフレに左右されないモノにお金を移すことが出来れば、それだけで辛酸を嘗めずに済むかも知れません。
 これが並大抵のことではないようで具体的なことはわかりませんでしたが、リクツとしては、その手が一つあります。

 自給自足出来るようにしておくというのも一つの案。ただし、一般人は農地を買えないんですよね? そこからして工夫が要ります。ま、その程度のことならネットですぐに出てくるでしょうが。
 不透明なのは、家庭菜園を規制する動きがあるということ。某国の話ですが、わが国は結構、追随するのでその恐れもあります。つまり、零細農業ですらリスクはあるということです。有事の国策はかなり怖い。

 引用した記事では、国外退避まで云ってましたから、予測されている激動のすさまじさが察せられます。でも、今ならまだチャンスはある。

 そういうことを考えるのは、煩悩でしょうか? 悪あがきでしょうか?

 それともその程度のことは「アリとキリギリス」程度の話なのか……

 とはいえ、自分のことで云うと、ここまで考えながら、腰が上がりそうにありません。答えがわからないから動かないのか、動く気がないから答えも見つからないのか。

 ただ今回は、そのまま動かない者がトクをするような、そういう激動期ではないような気がして、記事にすることにしました。

 しかし、書けば、考えが少し進みますね。
 お金をどうすればいいのかということは、わかりませんでしたが、こんなイメージを持つことが出来ました。

野生の草食動物のように危険を共有して、皆で身を守る!

 弱者の最善の戦略は、皆が危機意識をもって協力しあうことこそがかもしれません。自分だけが助かろうとしても草食動物のイメージだとムリっぽい。

 産業革命時の農民の多くは、羊の群れのように都市に追い込まれました。「囲い込み」は直接的には、共有地の私物化ですが、人間が「囲い込まれた」ということもあったと思います。

 

 もし同じようなことが繰り返されるなら、どうする?

 おそらくすでに誘導先は決められているのだと思います。かつて都市に追い込まれたように。かつてと違うのは、仕事はない、ということ。

 どうなるの? そういう話は「幻聴ラヂヲ」ですることにしましょう。

今は、そうならないように考え行動することが大事!


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