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[暮らしっ句] 柿 2[俳句鑑賞]
のどか編
柿の空 男のシャツを 叩き干す ふけとしこ
秋晴れ、柿もそろそろ色づいてきた。
テレビをつけると陰鬱になるニュースの連続だが、この里は変わらない。
わたしは今日も洗濯をしている。いったい、いつまで洗濯するのだろう。何百、いや何千回! でも、この変わらない繰り返しが幸せかもしれない。
「コンチクョウ! オマエっ、わかっとるのか!」 パン!パン!パン!
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柿たわわ 妻の笑顔を 良薬に 山田六甲
奥様、そうなんですよ。夫の幸せの半分は女房の機嫌次第~
女房の機嫌は夫の働き次第かもですが……
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柿もぎに 登れば見ゆる むかしかな 石橋翠
これちょっとめずらしい表現。過去って、押し入れの奥とかにありそうですが、作者は高いところに登って発見した。要するに、そんなところに登ったのは高校の時以来とか、そういうことだと思います。そういう場所のタイムカプセルもあるんですね。早くに実家を離れた人とか、何度か引っ越しした人なら、そんなカプセルがたくさんありそう。そこへ行けば束の間、その時代に戻れる。
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柿一つ もんぺで拭きて かじり食ぶ 長谷川登美
若い頃、周囲でちょっと「もんぺ」が流行りました。作業するときとか、あとキャンプとかでも若い彼女たちが「もんぺ」を使った。その時の光景が思い出されました。あれ、いいもんですよ。日本の景観に合う。ぜんぜんダサくない。若い頃は何を着ても映えるもんです。← 単なる年寄りの好み?
それはそうと、「もんぺで拭きて」そのまま食べるというのも、パンデミック以降の「消毒文化」から見ると古き良き時代の趣きかもですね。
町の子どもに、もぎたての果物を差し出して「そのまま食べられるよ」と云っても警戒されそう。いや、子どもは素直か。親が問題だな。これからの世の中、どうなることやら。
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枝柿を 担ぎて回る 三軒目 塩貝朱千
ご近所、親しい人に配り歩かれるたんですね。
サンタクロースが人気なのは、一般人の日常からこういうことが無くなったからかも。プレゼントを貰えるのが嬉しいというのは、あれは商業的なプロパガンダかもしれません。プレゼントを贈る方が実はもっと良い気分だったりしますから。ただ、買って贈るのは庶民にはキツイ。収穫物がある人は幸いなり。
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掌に 柿の丸みを頂戴す 安徳由美子
頂戴したときの「ぬくもり」を云う作品は多いのですが、ここでは「丸み」。両手で受け取ったということも想像されます。紙袋や箱の物だと、両手で受け取ってもこうはなりません。
思えば、古代以前だと、包装なしの手渡しが当たり前。ラッピングにこだわるのも文化ですが、その古層には手渡しに心を込める文化があった。
「一期一会」という言葉がやたらに流行りましたが、「包装なしの手渡し」は「会」よりもはるかに短く凝縮された交わり。
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柿二つ 分けて折合ふ 話かな 稲畑廣太郎
何か込み入った相談ですかね。話題は軽くない。でも、一個の柿を半分こしてから話をはじめるという。そこに明るい兆しが感じられます。結局、人と人との話し合いは気持ちが大事。
ドラマの演出とすれば、二人が柿を食べて話し合いに入ればマル。一人が柿に手をつけずに話をはじめれば予断を許さない展開に……。
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吊し柿 鳥語辞典を編むつもり 藤田守啓
「吊し柿」にかけて気の長い話……ということだと思いますが、幸せな人だなと感じられます。
恵まれた生活だから夢みたいなことを云ってるのか、それとも夢みたいなことを云うから幸せなのか。
もし夢みたいな事を云ってる人がいたら、「あの人はいいよな」と、あたかもその人が前者であるかのように見なすと思いますが、よく考えると後者かも知れません。自分の心がけ次第と云うことは、やっぱりかなり大きい。底辺のわたしでもそう思います。
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よくひびく 子猫の鈴や 柿日和 内田雅子
のんびりできる条件の一つは、自分の「空間」があるということですが、もう一つは「音」。狭い場所でも静かなら狭さを忘れられますから。
「子猫の鈴」がよく聞こえるというのは、それだけあたりが静かだからで、のどかな感じがよく伝わってきます。
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縁側に 座蒲団二つ 柿の秋 野上兼光
「縁側」というのかテラスというのか張り出し部分がある家は、今の新築でもめずらしくありません。しかし、1メール先がお隣では、お隣が留守の時でしかそこには居にくい。それに欲を云えば景色が欲しい。1メール先が壁というのと、遠くが見渡せるのとでは呼吸の深さまで違ってきそう。
と思わず愚痴めいたことをいってしまいました。それでは鑑賞になりませんね。
作者は、オレの家は「縁側」でくつろげるんだぜ! と自慢しているのでしょうか?
もしかしたら、作者にとっても「縁側」でくつろげたのは過去のことなのかもしれません。「座蒲団二つ」というのも、あるいは亡くなったご両親のことかも。
両親が使っていた座布団を「縁側」に干したところ、あの頃が蘇った……。目を閉じれば、その縁側の向こうは畑で柿の木があった。その向こうには山並みがあり、夕焼けが見えるのが当たり前だった……。
こんなことを云うと若い人からは、湿っぽいと思われるかも知れませんが、年寄りはそうじゃないんです。思い出はさしづめ「命」の電池で、懐かしむのはそこからチャージしている感じ。
よし、もうちょっとだけ、がんばろ~
出典 俳誌のサロン 歳時記 柿
柿
ttp://www.haisi.com/saijiki/kaki1.htm