[Orchard]母たちの「……」[ReliveArt]
アーティストをAIの画像生成で追体験しようという企画。
今回選んだのは Danielle Orchard。
Abbeyさんの記事ではじめて知ったのですが
作品もさることながら、そのコンセプトにひかれました。
母親は複雑なんだ!
当然ながら、女性、特に母親はそのことを良く知っているので、そのメッセージは一義的には男社会に対して向けられています。
が、女性の中にも、旧来の男性社会の価値観から脱することが出来なかったり、新しいやり方、広い社会の中で生きることに戸惑っている女性もいるわけで、そんな女性に対する鼓舞の意味合いもあるかと。
(ちゃんと考えてこなかったので不用意な発言になりそうですが)
男性は女性、特に母親に対して献身的に尽くすことを求めながら、聖性も期待してきました。まったくとんでもない話ですが、しかし、相手や状況によっては、それをやれてしまうのが女性のすごいところで、それを知ってる男性はつい期待してしまう(凡庸な自分を棚に上げて!)。
現代は、そんな男の愚かさに加えて女性自身の戸惑いも増大しています。社会に出て働けば男性の苦労もついてきますが、旧来の女性の務めが無くなるわけではない。夫に理解があって家事は分担できても、育児の分担は簡単ではありませんし、母親の務めにいたっては分かちがたく残る。
いや、それらが理不尽だという話は親世代からあったこと。今にはじまったことではありません。
今のモヤモヤは、社会的な不平等とは違う話ではないか
たとえば、旦那に家事をやってもらっても、いつも何かしら足りなかったり余計なことをしていて、こんなことなら自分でやるんだったとか思う。育児だってそうだ。雑にやられたり思いつきで勝手なことをされると、自分の苦心を軽んじられたようで、腹立たしいやら情けないやら…。
要するに、女から云わせれば、男は使えない。女たちが大切にしてきた事柄に関して、男たちときたら、まるで役に立たないのだ!
しかし、その言葉はそのまま自分たちに返ってきそうだ。男たちは職場できっとそんなふうに女たちを見ているのだ。
自分が求めていたのは、
男たちの仕事に加わることだったのか?
女たちは男の真似事がやりたかったのだろうか?
何事も簡単には実現しない。そんなことはわかっている。
しかし現代の女たち、母たちは、
目指すべき方向すら、つかめていないのではないか……
オーチャードは、そこに光を当てた
開き直ったような、ふてぶてしささえ漂う姿、にこりともしない表情は、男性にとっても家庭ではお馴染みの、母や妻の姿だと思いますが、それは頼もしい強さ、逞しさではなく「影」だった。
男はそんな姿を見たくなかったし、母や妻もまた、それはプライベートの姿であり、決して外で見せてはいけない姿だと思っていた。
オーチャードの気づきは、それっておかしくない? ということ。
先行研究も知らずに、こんなことを語るのが、いかにもバカなんですが、 もう少し付け加えると、
オーチャードは、問題解決のために、そんな女性の姿に光を当てたのではないと思います。問題提起はしたけれど、同時に、今ここにある現実、今、生きている女、母親を描きたかったのではないか。それは 「…… 」だから。
「…… 」とは、いわゆる「愛」に近いものですが「愛」とか「理解」という言葉をあててしまうとズレていくもの。
「愛されたい」「理解して欲しい」「どうしてわかってくれないの」……
言葉にすると、どれもフラストレーションが溜まる。「そうじゃない!」とは云えるけれど「望み」は言葉に出来ない。「どうして欲しいんだ?」とか云われると、最高にムカつく。
そうですね。今、書いていて気づいたことですが
それ故に、しばしば女性は大事な場面で「沈黙」するのかもしれません。なぜなら、言葉で説き伏せても「……」は得られないから。
「言葉に出来ないものは言葉では得られない」
ということを 女性たちは知っていたのではないでしょうか
オーチャードの女性画は、この上なくリアルな女性ですが、
そこには「……」が、しっかり描かれている!
蛇足になりますが「……」をさりげなく用意すること
それが女性が男性に求めていることなのかもしれませんね
女性の要望も、かなりムリゲー~
(それが出来る男も稀にいるので、つらいところ)
能書きが長くなりましたが
はい、作画の方がうまくいきませんでした
途中で、似せて描くのはあきらめて
ただ、思いつづけていたという
[ReliveArt]シリーズ